ここは二次創作同人サイトです。
各種製作会社とは全くの無関係です。
サイト中の文章や画像の無断転載は禁止です。
一部に成人向け表現があります。18歳未満の方は閲覧をお控えください
自分に嘘をつくことはできるのか。自分に隠し事をすることはできるのか。バレないように。真実を見せないように。僕はできることを知っている。彼が僕にそうしたように。僕は彼で彼は僕だから、彼にできることはきっと、僕にもできる。同時にマークはマークで僕は僕だ。同じだが同じではない。僕らは僕らだ。
"スティーヴン・グラント"は目を開いた。
時間は分からない。暗い部屋に月明かりが差し込んでいる。ありえないほどに明るく水底のように青く揺らいでいる。心が肉体から浮いているような心地がした。呼吸をしているが呼吸をしている感覚が無い。頭のどこかが氷に触れているように冷たい。
「マーク……?」
呟くように呼んだが、いつでも離れずにいるはずの彼から返答はなかった。どうしたんだろう。部屋を見回し、ゆっくりと動きの緩慢な虫のように起き上がる。ベッドから降りようとして、足首に巻かれたソレに気がついた。以前使っていた足枷。既に僕らには不要になったはずのもの。どうして。スティーヴンは眉を寄せ少し手間取りつつそれを外した。立ち上がると壁際の姿見の中の自分も立ち上がる。"スティーヴン"とは違う表情。
「マーク!」
良かった。いたんだね。ほっとして心臓のあたりに触れながら近寄る。鏡の中の彼は微動だにせずそんなスティーヴンをじっと見つめていた。近い距離で視線が絡む。どこまでも黒く底の知れない洞窟のような瞳。異質な気配。スティーヴンは動きを止め、首をかしげた。
「マーク……じゃないね……"君"は……君は、」
鏡の中の男は口の端を吊り上げると、右手の人差し指を立てて唇にあてた。しーっ。
スティーヴンは唾を飲み込んだ。彼を知っている。知らないが、知っている。誰? 姿見に小さく後ろの水槽が映り込んでいるのに気が付いた。赤い金魚が3匹ひれをなびかせて泳いでいる。3匹だって?
振り向き姿見から目を離した瞬間、伸びてきた手に腕を掴まれ引っ張られた。息が止まる。境界を越えて"彼"と僕が入れ替わる。すれ違う一瞬彼の顔がすぐ近くにあった。彼が笑う。小さく、しかしはっきりと声が聞こえた。
「まだあいつにはナイショだ。 スティーヴン・グラント」
目を開いた。そのまま数秒固まる。いつもの天井。いつもの曲。いつもの布団。いつもの"僕ら"。
「マーク?」「おはようスティーヴン」「マークだよね?」「…どうかしたのか?」
スティーヴンは布団をめくり、自分の足首を見た。何もついてはいない。向こうに見える水槽には金魚が二匹。
「おい、スティーヴン?」「ああ……うん」「どうしたんだよ」「なんでもない。大丈夫だよ」「変な夢を見ただけ」「俺は見なかった。どんな夢だ?」「忘れちゃった」
嘘だった。夢と現実の境が分からなくなるほど鮮明に覚えていた。古道具屋で買った姿見は錆びて曇っていて、あんなにクリアには映らない。大きく息を吸って吐く。1回、2回、3回。首を回し猫のように伸びをする。
「スティーヴン」「シャワー浴びようよ。 背中が汗でびっしょりだ」
スムーズにマークが肉体の主導権を握り立ち上がる。マークはそれ以上スティーヴンを追及せずため息をつくとバスルームに向かった。
マーク・スペクターの心はジグソーパズルのようだ。"スティーヴン・グラント"はそのピースのうちのいくつかで。いまだに本人にも全体の絵は見えない。欠けたままのピース。血で汚れたピース。かすれたピース。どこにもはまらないピース。二人で組み立てようとしても完成することはない。"僕ら"はそれでもいいと思っている。完璧じゃなくても一緒にいられるならそれでいい。アルバイト。職探し。鳩。噴水。博物館。散歩。食事。ダンス。生活。"マーク"がいて"スティーヴン"がいるいつもの生活。
目を開けるとまた、月明かりが差し込み部屋が青かった。不思議な浮遊感。スティーヴンは半身を起こし周囲を見回した。マークの存在を感じない。どこにいるの。ベッドから起き上がろうとするとやはり足枷をしていた。外そうとして、気配を感じ顔をあげる。
水槽の前に置かれた椅子に、いつの間にか男が足を組んで座っている。水槽には金魚が3匹泳いでいた。
ハンチング帽。黒い手袋。顔は、"自分達"と同じ。スティーヴンはベッドの上に座り込んだまま両手を意味もなく動かした。
「ええと……君は、どうして。君は誰なんだっけ」
「スティーヴン・グラント」
「何」
男はおもむろに立ち上がり、のしのしとベッドに近づいて来た。それから手袋をした手でぐいっと前髪をかき上げるようにスティーヴンの頭を掴む。真っ黒い瞳が観察するようにスティーヴンをじろじろと無遠慮に眺めまわした。
「なるほどな」
「何が。何なのさ。いきなり失礼じゃない? マークだってもうちょっとこう……コミュニケーションってやつを、うわっ!」
ベッドに乱暴に押し倒され視界が回る。なんなんだよ本当に。上から見下ろしてくる男にスティーヴンは片手を伸ばした。
「君は……"僕ら"なの? 存在は、うっすらとだけど感じてたよ……マークも知らないの?」
「マークは知覚できない。あいつは俺のことを見たくないからな」
「見たくない?」
「おまえとは真逆だスティーヴン。おまえがマークの理想なら、俺はその逆」
人を殺めたことのないおまえの、その逆。
男は大きく手を広げスティーヴンの胸に触れた。どくどくと鼓動を感じる。男の瞳からは相変わらず何の感情も読み取れなかった。しかし何か。何かが。
「だめ……やめて」
「おまえじゃ止められない。スティーヴン・グラント」
目を閉じる。
目が覚めた。
「スティーヴン、スティーヴン!?」「ん~……おはよう。どうしたの」
返事をするとマークは大きく息を吐いた。マークの心が不安に揺れているのを感じる。
「いたのか……」「いるよ。当たり前だろ。大丈夫だよ」「どこにも行かないでくれ」「行かないよ。行くわけないだろ。ねえマーク……」「なんだ?」「……なんでもない」
もう一人。君が見たくないもう一人は。
君の水槽には金魚が二匹。