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マークはスティーヴンと並んで歩いていた。二人ともフードのついた白いマントを羽織っていた。
飲み込まれそうに大きな月。煌めく星々。それに照らされた白い砂漠。
空気は冷たく乾いて静まりかえっていた。時折頬を撫でるように風が吹き、砂がさらさらと動くだけ。他の生者の気配は感じられない。ただ白く白い砂の大地。波打ち影になった部分は泉のように青く見えた。
それを一歩ずつ踏みしめながらマークはスティーヴンの手を掴んだり離したりしながら歩いていた。一体いつから歩いているのかは分からない。目的地も分からない。何かを探しているのか、何かから逃げているのかもわからない。ただ、二人で途切れることなく糸を紡ぐように話しながら歩き続けていた。
「僕はそんなことないと思うけど。マーク」
たぶん。きっと。片手で癖のついた髪をくしゃりとしながらスティーヴンが言う。
「仲良くなれるかもしれない」
マークは普段から寄りがちな眉間のしわを深くし、首を横に振った。仲良く、だと?
「絶対に無理だ。無理」
「わからないよ? 僕も絶対に君みたいな偏屈で自分勝手で俺様でちょっとハンサムなだけの危険で嫌な奴と合わないと思ったけど、そうじゃなかったし…」
「おまえとアレは違う。スティーヴン。ていうか俺のことそんな風に思ってたんだな」
「だって君のこと全然、何も知らなかったから。だから、ね。"彼"とも話してみないとわからないよ」
「話したくないし見たくもない。だから見ないし話さない」
まったくもう……とスティーヴンがため息をつく。
まったくもうはこっちの台詞だとマークは思った。
マークはスティーヴンとの口喧嘩で今のところ勝てた試しがなかった。勝てる気もしなかった。スティーヴンは善良で、優しく、強く、正直だからだ。そういう奴にマークは勝てない。マークはそうではないから、勝てない。ああそうだ。分かってる。
「僕はもっと彼と話したいけどな」
「やめてくれ。おまえも見なくていいし話したりしなくていい。頼むからもうアレと関わるな」
「君はいつもそうだけど。だって、彼も君なんだろ? 彼は他人じゃなく"僕ら"だ」
「"だから"嫌だし駄目なんだよ。スティーヴン。おまえはわかってない」
後ろからスティーヴンの手が伸びてきてマークの右の手をぎゅっと握る。同じ手のはずなのにスティーヴンの手の方がひんやりと冷たい。
「でも、僕はもっと君のことを知りたいよ。マーク」
君の傷を理解して癒せるように。君を知りたい。君のことが好きだから。だから彼のことも知りたい。
マークはスティーヴンを振り返った。同じ顔同士の目と目が合う。それから難しい表情をして、小さく首を横に振った。
「……すまない、スティーヴン」
俺は恐れ知らずのおまえとは違う。
「謝らないでよ。マーク」
眉を下げ優しげにスティーヴンが微笑む。スティーヴンを見る度に、いまだにマークは自分の顔はこんな表情ができたのかと不思議に思う。
マークはスティーヴンに「気をつけろよ」と言いながら砂が少し窪んでいる部分を注意深く降りた。スティーヴンは「大丈夫だよ」と言う。そして砂に足を取られて派手に転んだ。引っ張って起き上がらせる。
鏡。水面。ナイフ。
映りこんだ中にはスティーヴン・グラントがいる。反射だからだ。現実の光の反射ではない。心の反射だ。スティーヴン・グラントはマークの思い描く理想を映した像。自分であって自分ではない異なる人格。彼の存在が今までの人生で長く長く、たったひとつの心の支えだった。そして今も。今も……。しかし、今は、これまでとは違う。
マークがずっと彼には知らせたくなかったことを今のスティーヴンは知っている。優しいスティーヴンが傷つくのは見たくなかった。しかし彼は、知った上で前に進める強さを持っていた。マークが認識していたよりもずっとスティーヴンは強かった。スティーヴンはマークの理想の強さを持っている。
向き合う強さを持っている。
今度はゆるく上り坂になっている砂をのぼる。スティーヴンが夜空に視線を向けながら「そういえばあの時」と呟いた。
「どの時だ?」
「まだ君が、僕ががどういう存在なのか知らなかった時、君は僕にすべて済んだら僕に身体を"返して"僕の前から消えるって言ったよね」
「…………ああ」
「嘘をつかれたと思った。僕は君から生まれたのに。君は僕の人生が偽りだって知ってたのに、ああ言ったんだ」
マークは答えずにスティーヴンから視線をそらし大股で前に進んだ。唇を結ぶ。痛いところ。触れたくないところ。返したくないところ。我ながら子供みたいに分かりやすい反応だ。こういう時無視するか、癇癪を起すかしかできない。マークには隠さなければいけないことがたくさんあるが誰に対しても隠し事をするのがあまり得意ではなかった。背中にじわりと汗がにじむ。
「でも、あの時の君は、本気だったんだろ? 僕に代わって、君は僕の前から消えたがってた」
「……スティーヴン。俺は」
「辛かったから? 人生から逃げたかった?」
「いや…………、それだけじゃない」
マークは息を吸い込み、絞り出すように低く小さく言った。
「おまえを守りたかったからだ」
俺はおまえとおまえの"日常"を守りたかった。夢だとか妄想だとか現実だとかどうでもいい。おまえに幸せに生きて欲しかった。
反射の向こう側からスティーヴンの日常をずっと見ていた。すべてが上手く行かなくても、つまずくことがあっても、誰も傷つけることなく、小さな幸せを自分で見つける生活。それを守りたかった。だからそのために自分は暗い心の奥にずっと潜っているのも悪くないと思った。今でも僅かに、そう思っている。
話す間は喉奥が狭くなったような心地がしたが、話してしまうと不思議と息をするのが楽になった気がした。
のぼりきって少し立ち止まる。風が吹く。髪が揺れる。相変わらず先の先までずっと白い砂の海が広がっている。ぼんやりとそれを見ているとスティーヴンがすとんと座り込み、大きく伸びをした。マークもその隣に膝を立てて座る。スティーヴンはマークの方に頭を傾けてしみじみとした調子で言った。
「君ってぜんぜん素直じゃないけど、見た目よりずっと優しいよね。マーク」
そういう風に言われるとむず痒くてどうにも落ち着かない気分になる。マークは渋い顔をした。
「俺はいつも自分勝手なだけだ。おまえに対してしたことは、思ってたことは"優しい"とは言わない」
「葦の楽園を捨ててまで僕を探しに来てくれただろ」
「おまえがいない世界に耐えられないからだ」
今までの人生でいつもいつも、守りたい相手をとりかえしのつかないほど傷つけてきた。優しくなんてない。優しくしたい相手に優しくできない。失敗してしまう。やり方がわからない。スティーヴンの手がマークの手に重なる。
「なんていうか、僕が君が言うように強くて、優しいんだとしたら……それは君の中にあったものだよ。君は僕だから。僕には君が僕だとは思えないくらい強くてかっこよく見えるけど……」
スティーヴンは少し照れたように笑った。
マークは無言でスティーヴンに手を伸ばした。
自分と同じ造形の頬に触れて顎先まで撫でおろし、それからもう一度覆うように触れる。スティーヴンが目を閉じる。ゆっくりと唇を重ねる。一度。二度。何度も。正しい呼吸をするように。渇きを癒すように。繰り返しながらマークはスティーヴンの服の下に手を入れ、まさぐり、素肌に触れ、胸の上に手のひらを広げた。
「……マーク……くすぐったい」
「動くな」
「ん……」
どくどくと少し早まった鼓動を感じる。マークはスティーヴンを抱きしめながらお互いの体温が溶けあうまでそれをしばらく感じていた。大きく息を吸い込み、静かに吐き出す。
「……でもな、スティーヴン」
「なに……?」
「おまえの善良さや強さが俺の中にあったものだとしても……それなら、それは"あいつ"についても同じなんだ。あいつも、俺の中にあったものなんだ」
「マークは彼……ジェイクのことが本当にこわいんだね」
「……こわいさ」
自分がどんなに残酷になれる人間なのか。俺は見たくない。見る勇気がない。スティーヴンにも見せたくない。自分の嫌いな部分を直視するのは恐ろしいことだ。 スティーヴンの手がマークの後頭部を撫でる。背中を撫でる。優しい声が言う。
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない。俺には耐えられない。耐えられないからおまえとあいつが生まれた」
「そう。"僕ら"は君の心の反射だ。そして"彼"も僕も、君を守るために生まれてきた。マーク」
スティーヴンはマークの額に唇を押し付けた。
「月の光は反射だ。この肉体で生まれて、生命の火を燃やしながら生きるのが君なら、それを反射した月が僕らだ。君を守るための。
……だから平気だよ。僕とジェイクは、君の月の騎士ムーンナイトだから」
暗い夜に旅する君を守るよ。
*
いつもの天井を見つめる。濡れた目をシーツで拭う。部屋の空気を吸って吐く。胸に触れる。夢の中で触れたスティーヴンと同じ心臓の音。壁には白い砂漠の絵がかかっていた。スティーヴンが気に入って買ってきたものだ。
「スティーヴン。いるか」「……おはよう」「覚えてるか?」「うん。ぼんやりとだけど……覚えてるよ……マーク」
月の砂漠の夢だ。
マークは半身を起こして、目を閉じた。
いつか、向き合える日が来るだろうか。スティーヴンが言うように。俺がスティーヴンのように強かったなら。