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 眠い。全身が水を吸った綿のように重い。
 頭の奥がかき回されるように痛んで、固い木の机に顔を伏せて小さく呻いた。嫌な寒気がする。肉体がこの場に馴染んでいないような。なのに汗をかいている。風邪でもひいただろうか。誰かが遠くで名前を呼ぶ声がした。
 スティーヴン。スティーヴン。起きろ。
 誰かは知っている。誰よりも近くて、大事な……。彼のところに行かないと。どうにか顔をあげ、重い瞼を持ち上げる。眩しく弾けるような光に目がくらんだ。

「スティーヴン・グラント」
「はえ?」

 どこかで聞いたような声に名前を呼ばれ、スティーヴンは間抜けな声をあげた。
 見るとワイシャツにベスト姿のアーサー・ハロウが呆れ顔でこちらを見ている。彼の後ろには大きなホワイトボードがあり、ピラミッドの絵が描かれていた。
「堂々と居眠りとは相変わらず肝が据わってるな」
 くすくすと周囲から笑い声が漏れる。スティーヴンはぱちぱちと瞬きをし右を見て、それから左を見た。明るい教室に青い制服を着た生徒たち。どこかで見たような見ていないような。みんな10代半ばくらいだろうか。高校生?
「どうして高校の教室に……? なんでアーサー・ハロウが……?」
「それは君がこの学校の生徒だからだろう? スティーヴン。それに教師を呼び捨てとはな」
 また周囲が笑う。
 生徒? 教師? 見ると確かにスティーヴンは周囲と同じ青いブレザーを身に着けていた。僕をいくつだと思ってるんだよ。すぐ横の窓を見るとなんだか随分若く見える自分の顔が映っていた。それをしばし眺めて、にらめっこをしてから悟る。ああそうか。また夢か。学園ドラマなんてあんまり見ないのにおかしいな。
 ベルが鳴り、生徒たちがおしゃべりしながら教室から出ていく。
 スティーヴンはごそごそと自分のものらしき荷物を漁ってみた。生徒手帳。名前はマーク・スペクターではなくスティーヴン・グラント。よく見ると後ろに古い写真が挟み込まれていた。同じ顔をした少年が3人、別々の表情で写っている。ありえない写真だ。ありえないが、いい写真だなとぼんやりと思った。自分たちがこんな風に並んで立つことは現実ではない。自分たちは同じ肉体を共有する同じ人間なのだから。
 ひとまずリュックを背負って立ち上がる。明るい陽射しも、笑い声も、まるで本物のようなのにどこか空虚で作り物じみているように感じた。夢の中なのだからそれはそうか。
 スティーヴンはマークを探さないといけないなと思った。自分がいるならマークもいるはずだ。そして向こうも自分を探しているはずだ。それが自然なことだと、疑いもなく考えて行動を始める。
 騒めく生徒たちの合間を縫って歩いていると不意に後ろから声をかけられた。

「ここにいたか。スティーヴン・グラント」

 深く低く、響くような声。振り向くと数メートル先に全身白い服をまとった男が立っている。目を引く細長い体躯に鋭い視線。後ろで束ねた髪。人の姿形をしているのに、どこか人外じみて見えた。その手には大きな刺股 のようなものを持っている。目を大きく見開いてそれを凝視し、スティーヴンは思った。
 うわ。不審者だ。
「あっ! こら! 戻れ! 待たんか!!」
 脱兎のごとく駆け出す。後ろで男が何か言っている気がしたがスティーヴンは全力で無視をした。何かあの男の話を聞いてはいけないような気がした。なんだっけ。何か知ってるような。思い出せない。まあいいか。

 走っていると、いつの間にかまったく人気のない廊下に辿り着いていた。
 外は明るいはずなのにやけに薄暗く、空気も冷たく感じる。廊下の奥が、その先の空間が壊れたように真っ暗で何も見えない。近づこうとすると、その"闇"が生物のようにうごめいた。それからゆっくりとその中にあった巨大な"目"がこちらを見て……。
「え……?」
 スティーヴンは後ずさりした。異様な気配に全身が強張り皮膚が波打つ。背筋に冷たいものが走った。危険。危険。危険。先程の不審者とは比べ物にならないほどのアラートが頭の中で鳴り響く。そこから伸びてきた手が。いや。手じゃない。ぬるりと伸びてくる異形のそれが。
 ……ほんの手前に迫ったところで、背後から何かボールのようなものが飛んできた。
 カンカンと、硬質な音がした直後、白い閃光が周囲を包み込む。異形の何かがいた方向から形容しがたい、恐ろしい悲鳴が聞こえた。

「スティーヴン! こっちだ!」

 光と音に呆然としていると鋭い声と共に強く手を引かれた。誰の手なのかは瞬間的に分かった。恐怖が一瞬で安心感に変わり、自分を取り戻す。体が動くようになる。
 そのまま二人で走り、階段を駆け上り、どこかの部屋の扉を開けて中に入った。本が沢山置いてある。図書室だろうか。
 二人で息を整えるとやっと気分が落ち着いてくる。スティーヴンは"彼"の胸に飛び込むように抱き着いた。
「マーク!」
「うわっ!」
 勢いをつけすぎて二人してその場に倒れこむ。マークはスティーヴンを受け止め、犬でもなだめるように頭をわしゃわしゃと撫でた。
「いてて、落ち着け」
「会いたかった、マーク」
「俺もだよ。無事でよかった」
 スティーヴンはマークをぎゅっと抱きしめてから、その普段との感触の違いに「あれ?」と首を傾げた。いつもよりも細い。それに。
「君も制服だ……。変な感じ。若いし……」
「それはおまえもだろ」
 スティーヴンは首をかしげながらマークの顔をぺたぺたと触った。マークはどこかまんざらでもない顔をして抵抗しない。マークはこういう格好でもかっこいいな。じゃなくて。
「なんなのこれ。もしかして精神病院の代わり? 僕たちまた死んだ? タウエレトは?」
「それは……」

「いや、俺達は死んじゃいない」

 マークではない、よく似た声が本棚の影から聞こえた。マークやスティーヴンとは違う、黒っぽい制服を着た少年がポケットに手を入れ妙に格好をつけながら歩いてくる。
「ジェイク!」
 スティーヴンが右手を振るとジェイクも笑顔でひらひらと振り返す。マークはあからさまに嫌そうな顔をした。
「無事でよかったスティーヴン」
「 なんで君だけ制服が違うの?」
「謎の転校生だからだ」
「謎の転校生?」
「こいつとしゃべるなスティーヴン。馬鹿がうつるぞ」
「馬鹿はないだろ。俺はおまえなのに」
「ねえジェイク、いつもの帽子は?」
「それならちゃんとここにある」
「スティーヴン、どうでもいいことを気にするな」

 ドン。

 と、何かで床を突く音がして三人は会話をやめた。三人同時に同じ顔で音がした方を見る。
 白い服を着た鋭い視線の男がいつの間にか背の低い本棚の上に腰掛けている。スティーヴンは「わっ!」と声をあげた。
「さっきの不審者」
「誰が不審者だ。愚か者。指をさすな指を」
「どこかで聞いたこと言うし」
 口をおさえて笑いをこらえるジェイクの横で、マークは難しい顔をしてスティーヴンに耳打ちした。
「これはコンスだスティーヴン」
「え え え え え え…………」
 そんな。鳥の骨じゃないコンスなんて……。いや、別にコンスの姿なんかにこだわりはないけど……。なにそのダンディな顔……。
 言葉を失うスティーヴンをよそにコンスはふん、と鼻を鳴らした。
「これはお前たちが病んでいるのとは関係ない。死んだわけでもない。外部の何者かが作り出した仮想空間だ」
「外部?」
「巻き込まれたのはお前たちだけではないようだ。これからここを作り出した者を始末しに行く。力を貸せ。私のムーンナイト達」
コンスの瞳が月のような白い光を宿す。窓の外はいつの間にか暗くなり、夜が訪れていた。

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