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​ 気がつくと部屋の真ん中でシャツのボタンを上から順にとめているところだった。

 マーク・スペクターは黒い瞳でぼんやりと手元を見下ろした。
 紺地にハイビスカスやらヤシの木やらが描かれたアロハシャツ。スティーヴン・グラントのセンス。
 なんとなく早朝と思ったが、時計を確認するとどうも夕方のようだった。ついにこの部屋の向きまで記憶が曖昧になってしまったか。
 ゆっくりとボタンの続きを止めながら、自分の中で眠っているスティーヴンのことを考える。
 あいつはこのシャツを着てこの時間からどこに出かけるつもりだったんだろうか。マークはスティーヴンの日常をずっと一方的に見ているが、すべてを認識しているわけではない。それでも彼から代わった後は何か悪くない夢を見ていたような気分になる。彼の存在そのものがマークにとっての夢。
 ボタンが一番下までたどり着く。
 そこでやっと、マークは一つずつ掛け違っていることに気がついた。上からずっとずれていた。眉を寄せ、今度は下から順に外していく。
 初めがずれていると最後までずれたままになる。どこでも修正できない。他と同じ。だいたいそうだ。スティーヴンは下までとめたところで気が付かないかもしれないが。あいつはまあ、そのままでもいい。
 脱ぎ捨て、鬱陶しい前髪をかきあげる。
「悪いな」
 ご機嫌なシャツに向かってぽつりと呟き、マークはマーク・スペクターの仕事のために服を着替えた。ぐるりと部屋を見回す。
 今夜も別の夢を作るしかない。あいつのためなのか俺のためなのか。どちらでも同じか。






 スティーヴン。
 頭の中で声が聞こえる。
 ぼんやりと眠い頭のままアロハシャツのボタンをとめていく。ひとつ。ふたつ。みっつ。
「……おい、スティーヴン」
「へ? なに?」
 腕を掴まれた気がしたが幻覚だ。彼、マーク・スペクターとはひとつの肉体を共有しているのだから。
 スティーヴンが首をかしげると、マークは静かな声で言った。
「ボタン、ずれてるぞ」
「えっ、あ、ほんとだ…………」
 見ると確かにボタンと穴がひとつずつずれて掛け違いってしまっている。慌てて外しながら記憶の破片が脳を過る。既視感。
「こういうこと、前もなかったっけ」
「おまえはぼーっとしてるからな」
「そうじゃなくて」
 なんだっけ。どこまでが自分にあった出来事で、どこからが違うのか曖昧だ。
 マークが少し間をあけて言う
「ボタンはずれてたし、俺がそのまま一番下までとめたし、その後この変なシャツを脱ぎ捨てて俺はおまえに話したくないようなことをしにいった」
 それだけの、よくあるつまんないことだ。
 スティーヴンは眉を下げて笑った。
「変なシャツはひどいな」
 ボタンをすべてはずす。スティーヴンはその状態で鏡を見た。アロハシャツを羽織ったマーク・スペクターの仏頂面。少し柄が悪く見えるがかっこいい。
「いっそボタンとめなくてもいいかな。よくない?」
「やめろ。スティーヴン。ちゃんと前をしめろ。制御権奪うぞ」

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