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一部に成人向け表現があります。18歳未満の方は閲覧をお控えください
1 兄弟
2010年3月
「さあ、そろそろ帰ろうか。ベン」
細長い手足を猫のように伸ばし、彼が言う。あなたはうなずいた。
地上の喧騒から離れた摩天楼の上。この瞬間の特別な静けさ。平穏な静止状態に巻き込まれた2つの粒子。
飛行船が暗い空をゆっくりと横切る。点滅する明かり。赤。青。赤。
立ち上がった彼が手を差しのべ、あなたにそれを握ることを求める。あなたは無言でそれを見つめ、受け入れた。
「ああ、ピーター」
スパイダーマン、ピーター・パーカーはあなたと同じ顔で微笑む。
「お腹空いたね!何か買って帰ろうか?」
「一旦着替えてからにしよう、ピーター。俺たちの今の格好は露出狂一歩手前だ!」
「僕はこれくらいなら気にしないけど」
摩天楼を縫うように同じように揺れる振り子。
完璧に同期しているように見える二つの時計。
だが、ひとつはまがいものであり、実際に時を刻み始めたのはつい最近だ。そしてそれは長くは続かない……あなたは内心、そう思っている。
終わりが来る。
ピノキオは人間にはなれない。
ベン・ライリーを名乗るあなたはピーター・パーカーのクローンである。彼を憎む者によって、彼を苦しめるためだけに作られた。
ピーターに世話を焼かれ、世話を焼き、こうして穏やかで騒がしい時を過ごしている間、あなたは同時に自分と彼の正気を疑っている。
しかしあなたは彼がどんな顔をするのか知っているので、それを彼に話すことはない。あなたはピーターを困らせることを好まない。
同じ記憶を共有すること。同じ時間を共有すること。命を預け合い、お互いの身を案ずること。向かい合って食事をとること。冗談を言い合い、くだらない会話を繰り返すこと。
そんなピーターとの共同生活。
それは刻々と奇妙さを増していく。境界線が移動し、壁が崩れ、あなたの人生のハリボテの建築物が再構築されていく。
親しい人の死、蜘蛛のアバター、親愛なる隣人、ヒーロー。
意図したかどうかは問題ではない。選択の余地などあなたには最初からなかった。
彼とあなたが共有する後悔と責任は、時に強制的で居心地が悪く、時にあなたを孤独から救う。
「うわ、ウェイドからメール来た」
「恋人からメールきてその反応するか?」
「恋人じゃないし!!」
風の中、ピーターが声を張り上げる。あなたは肩を竦める。あなたはピーター・パーカーの鏡のようだが、実際のところ、彼とあなたはあまりにも違いすぎる。
彼は自分が何者かを知っている。
自分が誰を愛しているのかも本当は知っている。彼はあなたのように弱くはない。真実を直視し、それでも諦めることはない。彼は決して仲間を、あなたを、見捨てたり傷つけたりはしない。
彼は唯一無二のヒーローだ。
しかし、あなたは知っている。はるか下の深みに、彼自身を焼きつくしかねない炎があることを。長年にわたりさらされてきた理不尽な暴力に納得せず、許すこともなく、消えることを拒否したまま、渦巻く怒りとして眠っている。
あなたは、その背中を見ながら同じフォームで身を翻し、ビルとビルの合間を飛び回る。
あなたはまだ自分が誰なのか決めかねている。
1994年12月
5歳のあなたはベッドの上でひとり、クマのぬいぐるみを抱えている。強い雨が窓を叩いている。あなたはそれをただじっと見つめている。あなたはなにかにじっと耐えている。なにかおそろしいものが来るという漠然とした不安に怯えている。
2009年5月
19歳のあなたはボロボロのスーツをまとったピーター・パーカーにハグをされている。
「無事で良かった」
彼は言う。あなたは自分と同じ色の目に泣き笑いが浮かぶのを見る。苦笑もなければ、皮肉もない。そこにあるのは安堵と親愛だけだ。
あなたは彼を抱き返しながら、彼を憎むなどはじめから無理だったことを知る。それは安堵であり悲しみだった。
「帰ろう」と彼が言うが、あなたは自分はいったいどこに帰るべきなのかと考える。
1999年8月
あなたは10歳。
時間があれば一人で機械いじりをして過ごしている。同級生たちはあなたを変わり者として見ており、時に馬鹿にしたりからかったりする。あなたは気にしない。あなたは内向的で、人付き合いが苦手で、科学が好きな少年だ。大好きなおじとおばが褒めて認めてくれる。あなたはそれだけ満ち足りる。
2007年9月
オリジナルとの戦いに破れたあなたは混乱と悲しみの雨の中、ごみ捨て場で壊れた家電と共に横たわる。
18歳のあなたは自分がピーター・パーカーではないことを、本当は18歳でもないことを、頭の中の記憶がオリジナルのコピーでしかないことを知った。親にも記憶にも裏切られた。誰もあなたを必要としていない。生きていることすら知らない。
あなたは、それでも存在したいと弱々しく願う。生きていたい。死にたくない。
あなたはひとりニューヨークを離れる決心をする。ここにはもういられない。ピーター・パーカーの部屋に侵入し、罪悪感に蝕まれながら彼の服を何枚か盗む。
名前を持たないあなたは自分をベン・ライリーと名付ける。
安いモーテルのベッドに横たわると現実が押し寄せあなたを押し潰そうとする。
信じてきたものが砕け散り、岩をひっくり返したような感覚に襲われる。蒼白になりながら、身もだえするような思いがこぼれ落ちる。嗚咽を押し殺し、持ってきてしまったマスクを投げ捨てる。この絶え間ない吐き気を浄化したいのだ。
口が渇く。飲み込む、飲み込む。飲み込む。
眠れず、天井のクモの巣のような割れ目を目で追う。
あなたは向き合わなければならない。正しいことをしなければならない。身体のどこかが痛む。
それでも向き合って、受け止めなければならない。
2004年11月
15歳のあなたは地下鉄に乗っている。
あなたは膝の上の鞄よりもずっと大きな秘密を抱えており、誰にもそれを明かしていない。愛するおばさえも知らない。これ以上おばに心配をかけるわけにはいかない。
あなたは顔をあげ、窓を見る。雨がガラスを叩いている。行かなければならないと思う。
2007年●月
あなたは培養液のプールから出る。
不気味な仮面をかぶった科学者が、生まれたばかりのあなたを憎しみと喜びの入り交じった目で見る。
あなたはひどく混乱している。あなたは家に帰りたいと思う。帰って熱いシャワーを浴びたい。全身冷えきって気持ちが悪い。
仮面の科学者は、偽物があなたになりすましていると言う。あなたは自分がスパイダーマンであることを思い出す。街に巣食う悪と戦わなくてはならない。脚が歩いたことがないかのようにふらつく。息をしたことがないかのように呼吸の度に肺が焼ける。
2 夢
2015年12月
あなたにとって誰よりも見慣れた、見慣れない、欠点のある、美しく、不快で、懐かしく、毎日見ざるを得ないその顔の、優しいヘーゼルの瞳があなたをまっすぐ見つめる。
あなたは彼と同じ声で「ごめん」と呟いた。
今でもなお、彼の瞳はあなたを自己中心的なまがいもののように感じさせる。
あなたの夢に出てくる彼はいつも、あなたの知っているとおり、少し困ったように微笑む。
そしてあなたを見て目を細め、少しだけ悲しげに何か言う。あなたはそれを聞き取ることができない。
責められているのか、赦されているのかすらわからない。しかし彼があなたを責めたりしないことを、あなたは誰よりも知っている。
あなたの時計の針は回る。彼の代わりに。
夢はいつも同じだ。
何度繰り返そうと結末は変わらない。たとえあなたが拒否し、否定し、弱さと闘い、鼓動する残酷さに立ち向かおうと、止まることも戻ることも困難であり、行く先を選ぶことはできない。
避けられない破滅のヘッドライトを見つめる猫のように硬直し、ただその瞬間を繰り返し見る。
液体で満たされたガラスの檻。絡み合う管。
彼の声。彼の腕。色を失った肌。血。彼の血。
『ほらね……カノンなんて、嘘だっただろ?』
記憶は閃光となって、覚醒と睡眠の合間であなたを焼き尽くす。そこにはあなたを支える論理も、倫理も、あなたを守るものはなにもない。
あなたは慟哭し、目を覚ます。
*
冷水で顔を洗う。
鏡の中では彼と同じ顔が、ひどく憔悴した表情でこちらを睨み付けている。彼は決してこんな顔をしないとあなたは思う。
速く、浅く、不規則だったあなたの呼吸は次第にリズムを取り戻す。カフェの仕事のシフトが入っている。その後はミゲルからソサエティに呼ばれている。
カレンダーを見る。あなたがピーター・パーカーを失って5年経つ。
*
あなたはポケットに手を入れ、キャップを深く被り、街の血流に沿って歩く。あなたは誰かと目を合わせることを好まない。通行人と視線が合わないように最善を尽くす。
あなたの顔は無愛想で、青白く、表情という表情は浮かんでいない。繰り返されたブリーチで傷んだ前髪が眉と眉の間で揺れている。
12月だ。街は浮かれている。ウインドウの中に赤い帽子を被ったスパイダーマンの姿が見える。
街の誰もが彼を知っている。
だが、彼を本当に知る者はあなた以外いない。
大通りに差し掛かったところで、ふいに首の後ろに痛みが走った。携帯端末を確認し、あなたは無言で走り出す。
路地裏に駆け込んだあなたは青いコンバースで勢いよくコンクリートを蹴った。慣れた動作で紺色のジャケットを脱ぎ、キャップを脱ぎ、金色の髪を赤いマスクで覆う。
その間もビルの頂上へと登り続ける。冷たい風が頬をかすめ、遠くからパトカーのサイレンが鳴り響く。
あなたは登り続ける。
そして飛ぶ。
*
「ありがとうスパイダーマン!」
無邪気な子供の声が聞こえる。
あなたは「スカーレットスパイダーだ!覚えてくれよな!」とポーズをとる。
この街はスパイダーマンを失った。
しかし人々の記憶から消えることはない。
あなたは再び飛び上がり、自分の身体のどこが痛むのか、その程度はどのくらいか思考を巡らせる。一晩眠れば治るという結論に数秒で達する。
ピーター・パーカーはそんなあなたよりも無茶をする性質だった。
あなたは結局、唯一無二のヒーローのコピーであり、ピーターの身代わりに消えることを望んでいた。あなたはそれが運命(カノン)だと知っていたが、それ以上に、なによりも、あなた自身がそれを望んでいた。
彼を尊敬するのも、彼に嫌悪感を抱くのも、あなた以外の人間にとってはもっと簡単だっただろう。だがあなたにとっては違った。
あなたは彼のマスク下にあるものを誰よりも知っていた。彼はあなたの兄であり、あなた自身であり、あなたは彼のコピーだった。
彼はあなたよりも苛烈で、滅茶苦茶で、優しい存在であり、押しつけがましくなく、決めつけがましくなく。たまにあなたは彼を殴りたくなる--殴る理由や言い訳が欲しくなった--が、彼は容易には、それをあなたに与えてはくれなかった。
あなたには運命を変える力などなかった。
あなたは運命に殉ずることを望んでいた。
あなたは彼の盾となり、彼の代わりに同じ血を流し、彼の腕の中で、彼の涙を頬で感じながら灰となって街の空気に溶けるはずだった。
しかし、あなたが死ぬ運命を彼は許しはしなかった。彼はあなたとは違う。彼は運命を変える力を持っていた。
今、あなたはまだ生きており、彼がいない街を彷徨い、悪を見つけては彼の代わりに蜘蛛の巣に絡めとる。
つまり、あなたは彼に敗北した。
あなたは彼に守られた。
あなたは彼を守れなかった。
2015年11月
時間、傷跡、言葉、悪夢、アイデンティティー。
それらが幾重にも重なり、26歳のあなたが暗い路地に立っている。
戦いの後、暴力の余韻で握り締めたままの右手と、ウェブにまみれた強盗たち。その上に水滴が落ちる。あなたはゆらりと狭い空を見上げる。
雨。
死のように静まり返っていた夜を雨音が静かに包み込み、すべてを濡らしていく。
汚れたスーツや曖昧で過激な思考の奥、心許なさと空虚さは厳然とそこにあり、あなたは一時的に、赤いマスクと鍛えられた身体の下で震えている欠陥だらけの人間性をもみ消すことを忘れてしまう。あなたは息を吐き、ひとり、亡霊のように街を彷徨う。
2009年9月
20歳になったあなたはピーター・パーカーとはじめて食事を共にする。
彼はよく喋り、よく食べる。自分と同じ顔で同じ声のはずだが、あなたは彼をチャーミングだと思う。
彼はあなたを兄弟と呼ぶ。あなたは戸惑いながらも、自分も彼をそう呼びたいと思う。
「君がいい奴でよかった。まあ、僕のクローンだもんね」
冗談めかしつつ彼は言う。あなたは傷んだ金髪の下で曖昧な笑みを浮かべる。
『いい奴』であることは、これまで呪いのようにあなたを苦しめてきた。それはあなたを自暴自棄になることすら許さなかった。しかし今は、素直に良かったと思えた。良かった。兄弟として彼と合わせる顔がある。
3 親
2015年12月
「ピーター・パーカー?」
あなたはキャップの下で息を吐いた。
「違います」
目も合わせず、そっけなく答える。何かを付け加えることもしない。言うべきことは何もない。何も。
彼と間違われること。それは恥ずべき内面が白日のもとに晒されるような感覚をあなたに与える。
無防備なカタツムリが塩のラインを這うような、溶けた肉片を引きずりながら進んでいくような、生々しい痛みと混乱の層の背後に隠れているのは喜びに似た何かだ。あなたはそれを、砂のように指から滑り落ちる冷たい闇の中から掘り起こすことを恐れている。
なぜなら、それが良いことであってほしくないからだ。
良いことだと思った瞬間、あなたはあなたの"父親"が望んだもの、そのものになる。
*
幼少期の記憶は中途半端に形成され、本当の目的を果たさない断片だ。あたたかな音や匂い、話したこと、場所。感情。出来事……
そこにあなたの鼓動はなく、脳も機能していない。なぜなら、あなたはそこにはいなかったからだ。切断された神経はあなたに真実を伝えることを拒み、正直と欺瞞を見分けることもできない。
焼き増ししたビデオテープのノイズの中に、あなたの本来の人生はフラッシュバックする。
暗く冷たい水の中での漂い。
周囲に散らばった何かを手に入れたくて伸ばした手。
全身を焼くような眩しい光と空気。
生への渇望。
あなたはピーター・パーカーでありたかった。
しかしあなたは自分をピーター・パーカーだと思い込んでいる、名前さえ持たない肉の塊だった。
あなたはあなたの父親によって、ピーター・パーカーの人生を壊すために作られた。
そしてそれは、形はどうあれ達成されてしまったのだ。
3 恋人
2009年12月
「何なんだよ」
あなたは怒っている。
あなたは彼を抱き起こし、ただ怒りをあらわにする。
「ピーター、君の交友関係について話し合おう」
「あはは、心配いらないよ」
「あははじゃない!」
あなたは眉間にしわを寄せ、息を吐いた。
彼の肩には生々しい傷跡があり、太ももの間には濃い水分が恥ずかしげもなく滴り落ちていた。
あなたが言葉に詰まると、彼は笑って肩を竦める。何があったのか聞く気にもならないが、あなたと彼は、良くも悪くも言葉を交わさずとも意思の疎通ができる。
「ちょっと喧嘩になってね。さっきまでここにいたんだよ。僕が誰か来る前に去れって追い払っただけ」
「その途中にパンツを脱ぐ必要が?」
「そういう時もあるさ」
ピーターがあの傭兵の話をする度、あなたの心には少しうんざりするような感情が湧き上がる。
彼があの男を好いていることは、あなたと彼が違う存在であることをあなたに強く自覚させる。あなたはあの傭兵が苦手だった。そして、ピーターがあの男に向ける感情はもっと苦手だった。
互いへの予測不能で要求の多い欲望。憐れみとも同情ともつかない痛み。口論。暴力。
ピーターと傭兵の関係は、奇妙で、歪で、不完全で、不安定で、端から見ても、決して理想的なものではない。
二人の間で、何か新しいものが展開し、形になり、ゆっくりと移行しているようではある。それが固まり、壊れることを恐れず、いつか二人で扱えるようになると彼は信じているようだった。
確かに、ピーターにとってあの傭兵は特別な存在だ。
ピーターは定期的に親しい人の死と向き合っている。そしてあの傭兵は呪われた、死ねない身体を持っている。死なない友人。死なない恋人。それはピーターにとっての大きな安心材料なのだとあなたは知っている。知っているが、それが健全なものとは思えなかった。
あの傭兵は馬鹿ではないが、そう振舞うのを好む。饒舌でいて核心は避ける。滅茶苦茶なようで理性的。ピーターがどう自分に執着しているのか、知っていて知らない振りをし、ゆえにベタベタと近づきながら一定の距離を保つ、臆病者だ。あなたはそう考えている。
愛も恋もまったく不条理だ。
自分もいつか、こんな風に誰かに惹かれることがあるのだろうか……。あなたはそれを想像できない。砂の上に家を建てることはできない。そう思う。
2009年10月
20歳のあなたは薄暗い路地裏を見下ろし、息を殺してじっとしている。視界の先では二つの影が絡み合っている。スパイダーマン……ピーターと、デッドプール。裏の窓からのわずかな明かりが、戸口に潜む2人の人影をかすかに浮かび上がらせている。
マスクのを鼻の上までたくしあげたピーターは口を開き、支離滅裂なことを呟き、あえぎ、頭を後ろに倒し、口を恍惚と恐怖の形に開く。まるで目の前の男が彼にすることが、恐ろしいことなのか、最高のことなのか、決めかねているかのようだった。
それを見てデッドプールは笑い、何か言い、そして身を乗り出してピーターの口を奪った。
あなたの心臓の鼓動は激しくなり、体温があがる。マスクの下、顔に熱が広がっている。見てはいけないと思いつつ動くことができない。
嫌悪と友情と同族意識、それ以外の何かとの境界線が、なんの前触れもなく、突如曖昧になる。壊れたラジオの曖昧なホワイトノイズになる。古いものから新しい視点が切り出され、躊躇いが削ぎ落とされる。あなたはピーターのあえぎに合わせて呼吸を整えた。
ピーターは不器用に身体をこすりつけ、傭兵を呻かせる。骨ばった指がデッドプールの厚い体を掴みしがみつく様子は、何か美しく生々しく絶望的だった。デッドプールの手がピーターの細い顎のラインを優しくなぞり、親指が薄い唇を撫で、彼の顔を儚く大切なもののように包みこむ。
デッドプールがピーターの尻を片手で掴み、「これが欲しいんだろ」と低く言う。太い指が肉に食い込む。
「……ここじゃダメだ、ウェイド」
ピーターは唸り、我に返ったようにデッドプールを乱暴に突き飛ばした。
その行為であなたの身体にかかったロックも解ける。あなたは二人に悟られないよう、物音をたてずに立ち去った。
2010年1月22日
午前1時16分
血まみれのデッドプールがピーターを背負っているのを見つける。デッドプールのマスクはほぼ失われ、爛れた肌が露になっている。真剣な青い瞳があなたを見て、無事だが手当てが必要だと言う。
午前1時56分
あなたはナイトナースの治療室でピーターの手を握りしめる。マスクの代わりのようにその顔には包帯が巻かれている。
午前2時30分
あなたから少し離れて床に座りこんでいるデッドプールがあなたとスパイダーマンの関係について尋ねる。あなたはクローンだと答える。クローンで、彼のことは兄のように思っている。
「元々は本物のスパイダーマンを苦しめるためだけに作られたんだ」
「そうか……ま、生まれ方は選べねぇもんな。生き方はぼちぼちといったところだが」
あなたは彼に尋ねかえそうとして、やめた。沈黙が降りる。
午前3時02分
あなたはピーターが目覚める前に去ろうとするデッドプールに腹を立て、怒り、叱り、ウェブで簀巻きにする。
デッドプールは「俺はあいつにふさわしくない」だとか寝言を言う。あなたは愚かな男をピーターの寝かされたベッドの脚に縛りつけた。
「好きなら責任を取れ」
外に出たあなたはピーターの代わりに仕事の続きを始めた。
4 雨
2015年4月
屋上。意味のない落書きを背景にあなたは小さく息を吐く。
ヒーロースーツ姿ではない。あなたは白いシャツに古いジーンズを履いたガーゴイルだ。胸元のボタンはかけちがい、袖口のボタンも外れている。
片膝を引き寄せ、素足を汚れたコンクリートに置くと、霧のような雨があなたに降り注ぐ。傷んだ金色の髪が額に重く張り付き、顔の角から雨が滴り落ちた。
あなたの表情は曖昧で物憂げだ。このあたりは昼でも暗い。近隣のネオンは解像度の低い粒状になるまで分散している。柔らかな光はあなたを壊れやすく見せるのを、あなたは知っている。同じ顔をした彼がそうだったからだ。実際はそんなことはないのだが。
雨は強くなり、あなたの服に染み込み、下に着こんだ赤を透けさせる。下の道路で濡れたタイヤが軋み、クラクションが鳴るのが聞こえた。それに混じって、低い男の声がする。
「何を考えているんだ?」
「ミゲル……」
あなたは気だるい眼で男を見た。分厚い肉体に濃いブルーのスーツ。血のように赤い蜘蛛のマーク。荒々しい岩のような輪郭。
あなたは頭を振り、薄い唇で言う。
「いろいろだよ。俺も蜘蛛だから複雑なんだ。ダディ」
「その呼び方はやめろ」
「ダッドの方が好みだった? でもさ、雨の中物思いに沈む俺ってクールだろ?」
男の眉間のしわがさらに深くなる。あなたはそれがおかしくて少し笑う。ユーモアの欠片もないことが逆におかしい。
この男のデフォルトの状態はこのしかめっつらだが、あなたは既に彼を知っており、本当に怒っているのかどうかを見分けることができる。
「ベン。家に帰るか、俺と来て仕事を手伝うか、どちらかにしろ。さもなくばクビにするぞ」
「冷たいこと言わないでくれよ。養ってる家族も犬も家のローンもないけど」
「本気だぞ」
男の目は暗く、危険な半月状の光が反射し、赤い闇を不均等に2つに分けているように見える。
あなたにはわかる。彼は怒っているのではない。彼はあなたを心配している。
だがあなたはあなた自身を説明する言葉を見つけることができない。
あなたは望まず人間になってしまったピノキオだ。
「行くよ。仕事は好きだ。…………ただ、もう少しだけ待ってくれ」
もう少しだけ。
マスクの下にしずくがたまり、皮膚と骨の間の空洞のどこかに残って滴り落ちる。
男は氷のような沈黙を保ち、あなたを見つめ、ゆっくりと歩み寄った。やがてその手が不器用にあなたの背を撫でる。あなたは目を閉じる
あなたは、この男のこのような行動や優しさの一端が、あなたが必要としているかどうかにかかわらず、あなたの面倒をみたいという見当違いの衝動からきていることを知っている。それでも、それを不快に感じることはない。
どんな破壊の後でも、時が経つにつれ、街の傷は癒えていく。壊された建物は再び高くそびえ立ち、割れた舗道は改修され、隆起し、血管のように張り巡らされる。だが人の心は? 破滅的な喪失の後、そこから変わることはあるのだろうか。男の手を肩に感じながらあなたは考える。
『でもね、ベン......変化っていうのは、僕たちの理解を超えたさまざまな形をとるものだよ』
彼の声の残骸が遠くに響く。
5 仕事
2015年5月
25歳のあなたは淡々とコーヒーを淹れている。
来店した常連客に微笑み、今日のオススメを教える。サンドイッチをカウンターに置く。
あなたの名はベン・ライリー。
脱色した金髪とヘーゼルの目を持つ、少し気だるげな雰囲気のカフェの店員だ。
あなたは仕事が得意だ。
オリジナルから引き継いだ記憶力と、手先の器用さ、そして他人に好感を抱かれやすい容姿のおかげだった。
ピーター・パーカーの最初の仕事はフリーのカメラマンだった。高校生の彼は自分がヴィランと戦う様子を撮影し、新聞社に売ることで生活費を稼いでいた。
しかしあなたにとってそれは、生計を立てるための選択肢にはなかった。多くの若者がそうであるように、あなたは自分の適性に合う仕事を探した。
身元が不確かなあなたにできる仕事は限られている。だが店主はそんなあなたを気に入り、信頼してくれた。あなたはそれにこたえる。
*
闇の糸が空に伸び、残り少ない光を吸い上げる。太陽はやがて地平線に沈み、ニューヨークを包み込むような夜が訪れる。街の悪が動き始める。それを狩るため、あなたは摩天楼の合間をすり抜ける。地上から指差す少年に手を振る。
あなた名はスカーレットスパイダー。
脱色した金髪とヘーゼルの目を赤いマスクで覆った自警団だ。
あなたは仕事が得意だ。
ある瞬間、あなたの肉体は完全にコントロールされ、自信と勇気に満ち溢れ、燃え盛るビルの中を縫うように進み、わずかな隙間を広げ、解決策をみつけだし、自然災害のように無慈悲で予測不可能な敵に対して、圧倒的に不利な状況でも立ち向かい、命を救う。
ピーター・パーカーがそうであったように。
あなたは彼に代わって仕事をこなす。この世界の蜘蛛としての仕事をこなす。
夜な夜な犯罪者を殴り、寝不足のまま働かず済む生活。刀や銃を振り回さない恋人。クローンなど作られることのない、もっと"普通"の人生……
ピーターにはそれを手にするチャンスが何千回もあった。しかし、結局のところ、おそらく……ピーター・パーカーはそれに向いていなかった。
一般人としての人格。平凡な日常。たとえヒーローとしての生活が無名の通行人としての生活よりも遥かに過酷だとしても。彼はどこまでも蜘蛛だった。
あなたはどうだろう。
あのままニューヨークに戻らなければよかったのだろうか。自分の出自など忘れて、この街から、この国から、彼から遠くはなれ......はるか彼方、この宇宙の別の場所で生きるべきだったのだろうか。ヒーローでなければ何になればよかったのだろうか。教師になればよかった。科学者になればよかった。自分で小さな喫茶店を開けばよかった。
くだらない空想は夜の空気の泡となって消えていく。
*
「ベン。仕事だ。来い」
「OK」
内容も聞かず、あなたは軽く返事をする。
男に指示されるままに時空を飛ぶ。
いかつい背中。赤いトゲ。マスクをしていなくても、ミゲル・オハラの動きは変わらない。同じ目的のある歩幅、周囲を監視する時の首の動き。そのすべてが派手で無感情で鋭敏だ。
「この世界もベン・ライリーが死んでるんだ」
パーカー家の屋根裏部屋。古びた写真立てを手にとりながらあなたは呟く。クローンがスパイダーマンをかばって死ぬ。あるべき運命の形。正しい形。
男は低く言った。
「失敗したな」
あなたは皮肉げに笑い、肩を竦めた。
「俺が?ピーターが?あんたが?それとも運命が?」
「さあな」
男は鼻を鳴らし、それ以上は何も言わなかった。
そしてあなたは気にしなかった。 気にせず、毎回、ただ彼に従う。 たまに時空を行き来し、世界を守り、無口で無愛想でかたくなな男とぽつぽつと散発的な会話をする。
あなたはこの仕事が得意だ。
あなたたちが戻ってくるのを見計らったように、スパイダーソサエティの四方八方から軽口が聞こえだす。特徴的で鮮やかな色に飾られたコスチュームに身を包み、毎晩のように犯罪者に喧嘩を売り、日常との両立に悩むヒーローたち。
多くの蜘蛛の人生は、彼ら自身でさえ説明することも正当化することもできない二重性でできており、正反対の2つのアイデンティティの間で引き裂かれている。蜘蛛として生きるとはそういうことだとでもいうように、仕事をこなす。
*
忙しいが変わらない毎日が続く。
あなたは半ば機械的にこなす。蜘蛛の巣のように規則正しく紡いでいく。破れた巣を張りなおす。繰り返し。繰り返し。
スーツとマスク。深紅。暗闇。
何かに脅かされていると感じながら、移り変わる夢から目を覚ます。
あなたは本当はそれらに、とっくに疲れ切っている。骨の髄まで疲れきっている。
しかし、あなたは続けなければならない。続けなければならない。続けなければならない。そしてそれができる。
あなたは仕事が得意だし、それしかないからだ。
2016年9月
27歳のあなたはミゲル・オハラとビルの上に佇んでいる。眼下に広がる澱んだビルの群れ。この世界の危機はひとまず去った。
ミゲルはあなたを見ようとしない。彼は不自然なほど装備に注意を払い、あなた以外のどこかを見ている。単に話す気分ではないのだろう。お互い疲れきっている。長い夜だった。
「帰るぞ」
「うん」
伸ばされた彼の手を取ると、あなたの指は必要以上に長く彼の手のひらに触れる。必要性以外の何かが生じる前に、あなたの指は離れ、お互いの手が触れた感触の記憶は幽霊のように空気に消えていく。
ゲートが開く。
「おやすみミゲル」
彼は僅かにうなずく。光が彼の顔に濃い陰影をつける。すれ違う。数秒間、あなたはそこでじっとしている。夜の価値を認識しなければ、その微かに残った何かまで消えてしまうというかのように。
暴力。献身。正義。自己犠牲。
あなたもミゲルも、自分の救えなかったものを別次元で救うことで手探りに何かを探していることに違いはない。
しかし結局は何もないのかもしれない。何かをでっち上げる気にもなれない。あなたのこれまでの旅はすべて間違っていたのかもしれない。それでもあなたは次の呼び出しを待つ。
2016年11月20日
午後13時10分
あなたはピーターの手を握りしめる。
ピーターが微笑む。手から力が抜ける。あなたの視界が歪む。あなたはピーターの手を握りしめる。
あなたは……
あなたは繰り返す夢から目を覚ます。
「ベンさん、起きて」
「んん~~ミゲル、あと10分…………」
「ミゲルじゃないよ。マイルズだよ」
あなたは昨晩、眠りについたことすら覚えていない。どうやらここは自宅のベッドの上だ。カーテンから漏れるまぶしい日差しが目に痛い。黒いスーツをまとった少年スパイダーマンは怪訝そうな顔であなたを見る。
「あの~……もう昼過ぎだよ?」
「スパイダー基準だと仕事が無い日の午後1時は朝の7時くらいだって俺のピーターが昔言ってた」
「どこのピーターもそういう感じなの?」
「失礼な。俺の兄は他のピーター連中とは違う。ぜんぜん違う」
「ピーター連中」
あなたは伸びた前髪をかきあげ、半裸の身体を起こした。そろそろ髪を染め直さないといけない。
ちらりと壁の棚を見る。無惨に破れたスパイダーマンのマスクは今もそこにしまわれている。あなたはその話はせず、いつも通りプロテインのシェイクを飲む。少年にも勧めたが断られた。
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