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 Wは饒舌で陽気で陰気で、変わった男だった。そしてそれを自覚し実態以上にそのように振る舞った。周囲からはおおむねやっかい者として扱われていた。彼は傭兵だった。彼の評判を知りつつ雇うような人間に雇われた。雇われながら問題を起こしたり、問題を解決したりしなかったり、腕がとんだり、頭がとんだり、そんな日常を送っていた。人前では明るく振舞うことが多かったが、個人的なことでは何かと不運にみまわれ、悪運ばかりが強かった。金に困ることはなかったがいつもそれ以外で困っていた。沢山のポーチの半分ほどはいつも空だった。望んでも死ぬことができない不死の身で、生きて時を刻むごとに自分の中の何かが悪化していくように感じていた。随分前から八方塞がりでどこにも行くことができず、少しずつ落ちていく。そんな感覚。延々とどこか暗い場所へと飲み込まれるだけの夢をよく見た。

 Wはいつのころからかニューヨークを拠点に活動するようになり、ほどなくして摩天楼に巣を張る蜘蛛に心を絡めとられた。
 蜘蛛は街のヒーローで、好かれ嫌われ親しみを持たれ恐れられていた。蜘蛛は饒舌で陽気で陰気で、扱いにくく変わった男だった。そことスーツの色だけは少しWと似ていた。Wはそんな蜘蛛に最初は好奇心と憧れと少しばかりの嫉妬でちょっかいをかけては縛り上げられていたが、会う度に情が湧き、絡む糸は増えていき、気が付くともう後戻りできなくなっていた。蜘蛛は次第にWに対する警戒を緩め信用するようになったが、Wはそんな自分を常に疑っていた。
 蜘蛛は蜘蛛である以外の生き方を知らない男だった。彼はそれゆえにヒーローで、それゆえに多くの個人的な問題を抱えていた。Wは蜘蛛のそんなところを好いていたし、どうしようもない奴だとも思っていた。蜘蛛はWにそれは僕から見た君も同じだよと言った。Wは自分はヒーローなどではないから違うと思った。
 Wはそれから蜘蛛とずっとではないが多くの時間を共にした。背中を合わせて戦ったり、静かに寄り添ったりすることもあれば、意見の相違や認識の相違で派手に殴り合うことも度々あった。
 他の誰も知らないことだが、Wは蜘蛛の素顔を知る数少ない人間の一人だった。赤いマスクの下の顔を知っていた。二人だけの時には本名で呼び合った。お互いの素顔に素手で触れ合った。蜘蛛はWのことを信じていたが、Wはやはり自分のことを疑っていた。

 ある春の日。蜘蛛は忽然と姿を消した。

 数日でいつものように戻ってくるものと思われたが、蜘蛛は1週間経っても1か月経っても戻らなかった。世間でも騒がれはじめ、数度目のスパイダーマン死亡かの見出しがネットニュースを賑わせた。覆面ヒーローの蜘蛛だけではなく、本名の彼の方も彼のいた場所から煙のように消えていた。彼のいた痕跡だけが残されていた。何の置手紙もメッセージも残されてはいなかった。
 Wは蜘蛛を探し、帰ってくるのを待ったが、待ったまま1年が過ぎ3年が過ぎ5年が過ぎた。Wは蜘蛛がいつ帰ってきても良いように彼の居場所を整え保とうとした。

 街の捕食者を名乗っていた蜘蛛がいなくなった後、ニューヨークの生態系は崩れた。犯罪は増え、スーパーヴィランの動きも活発になった。蜘蛛のコスプレをした自警団が後を継ごうとする者から悪ふざけまで次々と現れた。
 Wは蜘蛛の代わりをつとめようとした。
 街をパトロールしては不器用に市民を助け、時に何時間も座り込んで話をした。スーパーヴィランと戦い、腕がとんだり、頭がとんだり、そんな日常を送った。上手く行かないことも多かった。所詮自分のような者につとまることではないと思った。全部を理解しながら嘲りと希望を引き受けて生きた。

 ある秋の日。いつものようにWがセントラルパークのベンチに腰掛けぼんやりと空を眺めていると、隣に男が座ってきた。男は深くキャップを被っていた。視界の隅でそれを捉えながらWは相変わらず空を見ていた。様々な反省事が騒がしい脳を巡っていた。昨日のあれはああすりゃよかった。俺ってほんと馬鹿。そのまま無言の時間が過ぎた。
「こっちではそんなに時間が過ぎてたんだね」
 聞き覚えのある、少し高めの声がそう言った。Wは首を捻り顔を横に向けた。
 キャップのつばの下から僅かに細められたヘーゼルの瞳がWを捉えた。ひどく懐かしい感覚が身体を駆け巡った。
「僕の体感だと精々数か月だったんだけど。君は……」
 相手が言い終えるまえに身体全体が動いていた。言いたいことは山ほどあったがあり過ぎてロードに時間がかかった。


 
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