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【マーク・スぺクター】
だから駄目だと言ったのに。言っただろ。それでマークは白いフードを被り両手で顔を覆いうずくまっていた。血のにおい。冷たく湿った地下のにおい。頭蓋骨が割れそうなひどい頭痛がして目の奥が熱く痛んだ。ノイズが鳴っては途切れる。鼓動が断末魔のように鳴る。なまじっか生命力が他人よりも強いのがこの人生においていつもいつもいつも災いしていた。もううんざりだ。あの時だってそうだ。耐えられないくせに生きてしまう。割れてしまう。欠けてしまう。そうだ。だからあいつが。あいつが。
「マーク」
ちがう。平気だ。ゆっくり呼吸をしろ。見るな。認識するな。俺は知らないし聞かない。爪の先がこめかみに食い込んで。
「マーク」
空白の中で声がする。自分と同じで、違う声だった。もっと強くて優しい。良く知るそれに縋るように手を伸ばして顔をあげる。マーク・スペクターは貸し倉庫の中で目を覚ました。固く冷たい床の上で呻きながら身体を起こす。鈍い反射の中、映りこんだ自分と同じ顔が心配そうな表情を浮かべている。
「マーク、しっかりして」
マークは片手で顔を覆い、大きく息を吐いた。
「俺達がしっかりしてたことなんて人生においてないほとんどないだろ。通常運転だ。安心しろ」
「そういう問題じゃないし、そんなこと言わなくてもいいだろ……。どうして、いつここに?」
「さあな」
分からないがよくあることでもある。マークはまだ不安げなスティーヴンに笑いかけた。
「おまえは心配しなくていい。スティーヴン」「でもさあ、君がそう言う時ってだいたい心配な時なんだよね」「うるさい」
よろよろと起き上がり携帯端末を見るとメールの下書きがすごい数たまっていてどれも未送信のまま宛先すらわからない。とりあえずそのままにしておいた。本物だったのか幻覚だったのかもわからない。だいたい神にメールなんてするはずがない。コンスがスマートフォンを操作しているのを想像して少し笑う。あれのことで笑うなんて少しスティーヴンが移ったかもしれないと思った。くだらない。コンス? なんでまだ、今、あいつのことを。
椅子に置かれた黒手袋に、ハンチング帽。横に置かれたバッグの中身を、俺はきっと知っている。知らない。そんなものは。欠けたピースの向こうには真っ黒い欠落が広がっている。
「マーク、あのさ……」「スティーヴン」「君も、気が付いてるよね。本当は」「スティーヴン」
マークは反射の中のスティーヴンに触れ、額をつけた。
「疲れた。帰ろう。俺たちの家に」
するとスティーヴンはそれ以上マークを追及はせずに、小さく首を振った。
「うん……。分かった。ちゃんとベッドで寝てね」「ここにあるのもベッドだぞ」「こんなのはベッドとは言わない。ちゃんと僕が寝かしつけてあげるから」「言ってろ」
こぽこぽと空気があがっていく。赤い金魚の泳ぐ水槽。地層のように積まれた本。転がったパズル。古道具屋で買ってきた鏡や置物。カバのぬいぐるみ。エジプト企画展のポスター。
この部屋はスティーヴン・グラントの城だ。スティーヴンの好きなもので溢れている。マークはスティーヴンと違いつまらない男なので、趣味というものが無い。マークにはなにもない。なくしてしまった。手にしても壊してしまう。ひび割れたコップのように、注いだ先からこぼれ出す。そういう人間だ。だがスティーヴンは持っている。マークは持っていなくてもスティーヴンが持っていてくれる。だから問題はない。そういう風にできていた。割れた心。モザイクのような生活。それはそれで今は悪いと思っていない。
スティーヴンに肉体を渡す。彼が彼の"日常"を始める。スティーヴンはマークの3倍くらいおしゃべりだ。本を読みながらでも何をしながらでもよくしゃべる。街中のパフォーマーだとか金魚だとか相手にも。今はマークという話相手が常にいるので嬉しいらしい。マークはそれに相槌を打ったり突っ込みを入れたりただ聞いていたりする。
「ねえ、マーク。今思い付いたんだけど、スティーヴン・スペクターってスーパーヒーローっぽくていい名前じゃない? イニシャルがS.Sだよ」
「……いや、スティーヴン・グラントの方が100倍いい」
「そうかなあ」
「そうだ」
二人のうちどちらかが消えることがあったら俺が消えてスティーヴンが残ればいいのに。スティーヴンを見ていると思う。ずっと、彼と生活が混ざりあってからはずっと、そう思っている。口にしたら喧嘩になるし、彼が悲しむので言わないが。マークはスティーヴンを愛していた。
『愚か者め』と低い声がどこからか響く。鳥の骨が、骨の翼が影を作る。風の音に違いなかった。置物の影に違いなかった。
【スティーヴン・グラント】
胡蝶の夢、だ。
夢の中の自分が現実か、現実のほうが夢なのか。
ある日自分が、自分の人生がすべて偽りだったと教えられたらどう思うだろう。泣く? 怒る? 呆然とする?
スティーヴン・グラントはそれを経験した。
様々な超人が闊歩する世界でも中々こんな経験をする人間はいないだろう。偽りの人生。つじつま合わせの記憶。
悲しく、苦しく、つらいことだったが……結果として、真実が知れて良かった。今の状態になれて良かったと思っている。真実を知れてからずっと心を覆っていた霧が晴れたような心地がした。すべきことがわかった。だから、知れて良かった。これで良かった。マーク・スペクターを知れた。彼を抱きしめることができた。
スティーヴンの人格はマークから分裂したものだ。マークはスティーヴンで、スティーヴンはマークで、しかし別の人格である。マークはどんくさい自分と同じ人間とは思えないほどハンサムでかっこいいが、どうにも繊細で難しく、優しいくせに素直じゃない。そのマークとの共存はまるで兄弟ができたようで、一緒に居られるのをスティーヴンは幸せに感じている。今までのどの瞬間よりも満たされている。 "普通"ではないのだろう。僕らはこれでいいんだ。
だが、この"二人"での生活はそれだけではないことを、スティーヴンは感じている。気配。そして、夢と現実の狭間で。
マークもきっと気が付いているが彼はそれを認識しない。彼の心は、僕らの心は複雑でお互い見えるものと見えないものがある。それは簡単にどうにかなるものでもない。スティーヴンが、母親の死を認識できなかったように。苦いものが口に広がるように不安が広がる。マークは心配しなくていいという。心配しなくてはいけない時、マークはそう言う。そういう男なのだ。
全身の力を抜き、肉体のすべての制御を彼にゆだねる。思考と、感覚だけはスティーヴンのまま。マークは悪い遊びを覚えた。
「それはおまえもだろ。スティーヴン」
普段とは違う、ぞくりとするトーンの低い声でマークが囁く。欲情して愛を囁く時、彼はこういう声を出すらしい。ベッドの上で、自分の手が勝手に動く。右手が唇に触れて前歯をなぞり、顎から首筋へ降りていく。マークが操る手が胸板を撫でて指先が胸の突起をつまむとスティーヴンは鋭い快感に声を漏らした。快感目的で触れたことなどなかったのに、繰り返すうちにすっかり敏感になってしまった。これは君の身体でもあるんだぞと思う。
もう片手、左の手が下へと滑り、下着の中へと滑り込んでいく。下生えをかきわけて既に布を押し上げはじめていた屹立に直接触れる。スティーヴンは目を閉じた。首をのけぞらせて喘ぎ、マークを感じる。確かにここにマークがいるのを感じる。これが本当じゃないというのなら、何が本当だというのだろう。
「はっ……あっ……ぁ……マーク……」「スティーヴン……」
熱い。両手が動く度に思考が溶けていく。ねだるまでもなく、マークの手が欲しいものを与えてくれる。目の端から涙が横に流れてシーツに染み込んでいった。
【マーク・スペクター】
それは一瞬の出来事だった。
いつもの街。いつもの光景。いつもの日常。それが一瞬で破壊される。
襲い来た黒い"何か"からスティーヴンは迷わず少年を守った。そうするに決まっていた。代償に、背をを爪で切り裂かれる。鮮血が飛び散る。悲鳴が響く。意識が飛ぶ。ノイズが走って、それから。
それから。
*
人生ゲームのサイコロを振る。
自分で選んでいるように見えていつも選ばされている。人生のマス目。同じ所へ行き着くように敷かれたレール。出た目が一でも六でも、結局は同じこと。
『おまえは本当に自分で選んでいると思っていたのか? なあ、愚かで愛しい、マーク・スペクター』
本当は分かっていたんじゃないか。分かっていて、気が付かないふりをしていた。認識するのがこわかったからだ。恐れているからだ。何を?
マーク・スペクターは目を覚ました。リムジンのような車の中、座席に座らされている。腕の中に体温。マークに寄り添うように、自分と同じ顔の男……スティーヴンが眠っていた。マークはぼんやりしたままそのくせ毛を撫でた。車内には香水のような甘ったるい香りが微かに漂っている。窓ガラスはすべて曇って霞んでいて、外の景色は見えない。雨が降っていることだけは分かる。頭が重い。まぶたが重い。全身が重い。重力が強くなったようだ。
「スティーヴン。おい、スティーヴン……」
呼びかけてみてもスティーヴンはすやすやと眠っており、目覚める気配はない。寝顔は穏やかだった。愛しい自分の半身。恐れ知らずのスティーヴン・グラント。
『それで、どうするんだ? マーク・スペクター』
顔を上げると、向かいの席に白いスーツを身に着けた異形が足を組んで座っていた。鳥の頭蓋骨に似た尖った頭部。地獄から響くような声。全身の毛が立つような心地がした。コンス。月の神。自分の弱味につけ入り使役していた存在。
マークはスティーヴンを引き寄せるように抱きしめ相手を睨みつけた。
「……どうしてここにいる。俺達を解放する約束じゃなかったのか」
『約束は果たしただろう。マーク。私はお前たちを解放した。今からするのはこれからの話だ。それに私が呼んだわけじゃない。おまえたちが"来た"のだ』
コンスが手を叩くと路上での記憶が映像のように窓ガラスに投影される。引き裂かれる肉体と、赤い血。救急車で運ばれるマーク・スペクターでありスティーヴン・グラントである男の肉体。マークは唇を強く噛んだ。
「アレはなんだったんだ?」
『おまえは生者にも死者にも随分と恨みを買ってきたからな。マーク。心当たりならいくらでもあるだろう?』
「おかげ様でな……」
吐き捨てるように言う。アバターとして沢山の人間を殺してきた。実際には、そうなる前からだが。コンスがくつくつと笑う。
『私は知っているぞ? マーク・スペクター。おまえは私を求めていただろう。求めただろう?』
自分の身体をぐるぐるに巻き、ぞろりと伸びる白い包帯が幻視される。マークは首を横に振った。
「おまえとはもう契約しない」
『それでいいのか? おまえは葦の原野にでもいけばいいが、哀れなスティーヴン・グラントはそうはいくまい』
スティーヴンの身体が少し冷たくなったような気がした。顔色も悪い。手に、べったりと血がついていた。マークはスティーヴンと同じように蒼白になって繰り返しその名を呼んだ。
「スティーヴン、スティーヴン……」
『それに、知っているぞ。マーク。おまえは一度も私を嫌ったことなどなかった』
「うるさい……」
『ああ、一度もな。好いていただろう。本当は』
「だまれ」
『支配に抵抗する素振りを見せながら、その実支配を求めていた。だから私はずっと、契約が解除された後もおまえの傍に居続けることができた。知っていただろう。なあマーク。私ならそいつを救えるぞ。知っているだろう』
コンスは楽しそうに指を組んで言う。マークは違うと言おうとしたが、喉が掠れて声が出なかった。
月の神を本当は自分から求めていた。嫌ったことなどなかった。そしてそんな自分が殺したいほどに嫌いだった。心が割れてしまう。割れて戻らない。
マークはただスティーヴンを抱きしめて子供のように涙を流した。
【ジェイク・ロックリー】
本当にどうしようもない奴らだ。俺も含めてだが。俺もあいつなんだから当然か。
「おい、お~い。起きろよ。"スティーヴン"」
男は自分と同じ顔の男の頬を黒い革手袋をした手でぺちぺちと叩いた。6度目くらいで「う~ん……」という小さな呻きと共に睫毛が震える。男は片手をひらひらと振って笑った。
「おはようだ。スティーヴン」
目が合うとスティーヴンは目を丸くして男の顔を凝視した。
「あ……君は……」
「俺はジェイク・ロックリーだ。スティーヴン」
「ジェイク……?」
「ずっとそばにいた。マークが俺を見たくないから見えなかっただけだ。"知ってた"だろ?」
そこにいた。ずっとそこに。おまえたちがいちゃついてる間もずっと。スティーヴンは色々な言葉を飲み込むように何度か口を開閉した後、「マークは……?」と絞り出すような声で言った。
「今コンスとお話中」
「コンスと……? なんで。い、行かなきゃ!」
立ち上がろうとしたスティーヴンをジェイクは肩を掴んで止めた。
「待てよ。俺の仕事はおまえの足止めなんだ。兄弟。悪いな。手荒な真似はしたくないから大人しくしててくれよ。つまんないから起こしちまったが」
「どうして……」
「俺はマークがコンスと契約したせいで生まれた人格だ。だからある意味親父がコンスみたいなもんでな」
コンスとの契約で割れて壊れかけたマークの心を守るために俺が生まれた。ずっとお前たちを守ってきた。分かっていただろう。知っていただろう。
スティーヴンはジェイクの顔をじっと見つめて、それから口を開いた。
「マークはコンスと契約なんてしない。マークはもう自分で選べるんだ」
「分からないかな。勘が悪いな。おまえも俺達なのに。俺には分かるぞ」
ジェイクは人の悪い顔で二っと笑いスティーヴンの頭を撫でた。
「マーク・スペクターはおまえを守るためにまたムーンナイトになるよ。スティーヴン・グラント」
彼はおまえを愛しているからな。