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第七話 告白と君と
 
 うろうろ、うろうろ。
 うろうろ、うろうろ。
 ウェイドは病室内を大股で行ったり来たりしては荒く息を吐いた。後頭部を掻いてその場で屈伸運動をする。
 ブリッジしてみたり、三点倒立してみたり、仰向けで寝てみたりうずくまってみたり。
 両手で頭を抱えたまま思う。何が『ピーターにも色々あるから責めないでやってくれ』だ。知ってる。わかってるさ、そんなこと。だが知ってる奴がいるのに俺は知らなかった。知らされなかった。こいつに限って悪意なわけがない。何か理由があったんだろ。
 道理で蜘蛛に惹かれるわけだよ。パズルのピースが嵌まるような納得感と安心と、心を掻き回されるような動揺と嫉妬とやるせなさと。

「ウェイド…………?」

 呼ぶ声に、ウェイドはバネ仕掛けの人形のようにびくんと飛び上がった。数度ゆっくり呼吸してから振り向く。どんな顔をしたらいいのかもわからない。
 目覚めたピーター・パーカーはぼんやりとした表情できょろきょろと周囲を見回し、首をかしげた。
 白い内装。部屋には他にウェイドだけ。
「ここは……」
「見ての通り病院だ」
「病院……」
 ピーターは額に触れた。何があったんだっけ。霞がかった記憶をたどる。あそこでの出来事。見た光景。
「ミュータントの人たちは?あの研究所は?」
「安心しろよ。捕まってた奴らは全員生きて保護されたそうだ。皆治療中」
「よかった……」
 ほっと胸を撫で下ろす。
 ウェイドはその様子を見ながらそっとブラウンの髪に触れた。こいつはいつも他人の心配から入る。
 そう、どちらでいる時も。

「あんたのお陰だろ?ピーター…………それと、スパイダーマン」

 ピーターは目を大きく開き、ウェイドを見た。その瞳が泣きそうに揺れて、伏せられる。
 そうだ、僕は。
「……ごめん、ウェイド」
「またかよ。なんで謝るんだよ」
 包帯をほどいて素顔を見せた時も、ピーターは謝罪から入った。
 ウェイドは落ち着かない様子で指を小刻みに動かす。謝って欲しいわけじゃない。そんな顔をさせたいわけでもない。じゃあ、どうしたいのか。
「だって、僕はずっと君を騙して……」
「ああ、まんまと騙されたぜ。おかげで随分悩んじまった」
 正直ウェイドにとっては世界がひっくり返ったような、金槌で殴られたような衝撃だった。
 今まで悩んでいたことはまったくの的はずれで自分はピーター・パーカーのことを本当に何もわかっちゃいなかったと知ったのだから。隠し事があるのは察していた。だが予想していた規模と違った。あのスパイダーマンが、ピーター・パーカーだなんて……つまりあの蜘蛛に言ったあれそれは全てピーターに言っていたと同義で。それを思うだけで頭を抱えて叫びたくなるのだが。
 ピーターはうつむいたまま言う。
「嫌われても仕方ないよ」
「どーしてそうなる」
「僕は恋人としてもヒーローの友人としても君を欺いた……」
 自分はウェイドの好きな人と、憧れの人を同時に奪ったのかもしれない。ピーターの胸の中にそんな不安がぐるぐると渦巻く。ただの人なピーター・パーカーはもういない。
 ウェイドは言いたいことが山ほどあるのをどうにか飲み込んで百面相すると、ピーターの頬に触れ、ぐっと自分の方を向かせた。
 お互いの瞳の中に相手の顔が映り込む。心臓の鼓動が大きくなる。何を言えばいい?何を。わからないまま口を開く。
「あんたは……」
 俺にとって、俺とこいつにとって大事なことは。ええと。
 言葉を待つピーターがひどく緊張しているのがわかる。今更だがスパイダーマンもこんな風に恐がったりするんだな。なんだか不思議だ。
 スパイダーマンだろうと、ピーター・パーカーだろうと。
「……あんたは、俺のこと好きなんだよな?」
「好きだよ」
「愛してる?」
「……愛してる」
 愛してる 愛してる
 まっすぐな言葉が淡い色の唇から発せられて、それだけでぐちゃぐちゃだったウェイドの心の中にぱぁっとピンク色の花が咲き乱れた。
 俺はこいつのこの言葉に死ぬほど弱い。こいつが誰で何であろうと。
 ウェイドは衝動のままに抱き締めた。「わっ」と小さくピーターが声をあげる。
「俺もめちゃめちゃ愛してる」
 知らなかったショックも、これまでの後悔も、感情の整理も何もどうにもならないが。そんなの後でいいや。好きな奴が好きな奴で、今生きてるし俺を愛してる。それだけで、他のことなんて。
 ウェイドの腕の中でピーターは小さく身を震わせた。安心感で泣き出したくなる。
「僕は君が……一般人のピーター・パーカーだから好きなんだと思ってた」
「……あんたも俺のこと全然わかっちゃいないんだな。そんなちんけな執着なはずないだろ」
「スパイダーマンのことは、そういう目で見れないし見たくないって」
「後半はほんとだが前半は嘘っぱちだ。本当はめちゃめちゃそういう目で見てた。謎が解けて良かった」
「ええ……」
 あの否定の仕方だったし態度だったし、信じたのに。
「……馬鹿みたいだ」
「それは俺の専売特許」
 ウェイドは堂々と言った後、急に少し照れたように頬をかいた。
「俺は馬鹿で、あんたは秘密主義で、結局何も知らなかったからさ……これから教えてくれよ、あんたのこと。もっと」
 唇が近づく。ピーターは目を閉じた。
 病室の扉が開く。
 眩しい金髪とテンションの高い声が響き渡った。

「ピーター!話は聞いたぜ大変だっ……」
 時が止まる。

 見舞いを持ってきたジョニー・ストームは頭を掻き、「あああ~……続けてくれ」とドアを閉めた。
 しん、と静けさが戻り、ウェイドは呟く。
「悪い。ドアのロック忘れてたわ」
「もう…………」
 絶対後でからかわれる。
 ピーターは真っ赤な顔で大きく息を吐いてから、ちゅっとウェイドの唇にキスをした。



 動けるから学校に授業をしに行くというピーターを羽交い絞めにして止め、ウェイドは代わりに学校に休みの電話をいれてやった。
 パーカー先生は体調不良でお休みしますよっと。授業をしたらスパイダーマンとしてのパトロールもする気だったらしい。このワーカホリックめ。
「本当に大丈夫なのに。心配性だなあ」
 ピーターは不満げに足を組み、ウェイドの家のソファに腰かけている。ウェイドの貸したTシャツは彼が着るとだぼだぼだ。その下は下着一枚。脚には何ヵ所か包帯が巻かれている。
「だなあ、じゃねえよ」
「僕、スパイダーマンだよ?しっかり寝たしもうどこも悪くない」
 しっかりと言っても3時間ほどだが、ピーターからすればよくあることだ。この肉体は無茶がきく。
 正体を明かしたことですっかり開き直っているピーターを見て、ウェイドは小さくうなった。こいつめ。太ももが、眩しい。いやそうじゃなく。ウェイドはずんずんと歩いてその隣に腰かけると肩に手を回し、青い目を細めた。
 聞かなきゃいけないことがある。
「病院じゃ、あえて黙ってたんだが」
「何?」
 ウェイドは指先でピーターの首筋と鎖骨を順にとんとんと叩いた。白い肌に残る赤い痣。
「首と、ここ。この痕。ただの傷じゃないよな?何があったんだよ」
「え?こ、これは……」
 途端にピーターの目が分かりやすく泳いだ。忘れていた。
 嫌な記憶がよみがえり、背に汗が滲む。手の、舌の感触。声。視線。あの嫌悪感。話すことを感情が拒否したが、もう嘘はつきたくないし誤魔化せる気もしない。
「……助かりたいなら、好きにさせろっていう奴がいて、情報聞き出したくて、それで……それだけ」
 ウェイドの瞳に、にわかに暗く剣呑な光が宿った。好きにさせろ?だと?
「犯されたのか?」
 ピーターは慌てて両手を振った。
「さ、されてない!向こうはそのつもりだったけど、途中で気絶させたから……」
 語尾に向けて声が小さくなる。傭兵でウェイドに恨みを持つ男だったというところまでは言わずにおいた。具体的に何をされたのかも。
 その伏せられた睫毛と言いにくそうに結ばれた唇を見て、ウェイドの胸に一度沈静化していた殺意が再び燃え出す。非力でどうせ抵抗できないと踏んで襲ったに違いない。この身体に触れた奴のことを想像するだけで頭に血が上る。ぎりっと歯ぎしりした。
「今すぐ殺しに行くからそいつの特徴教えてくれ」
「絶対駄目」
「ケチ」
「でも彼が監視カメラを切ってくれたおかげで脱出しやすくなったし、そういう意味じゃ……」
「そういう問題じゃない」
「でも、僕自身がわざと受け入れ……うわっ、」
 ウェイドは言い訳するピーターの腕を掴んでソファに押し倒した。抵抗もなく簡単に倒れる身体。その頭の横に両手をついてぐりっと額同士をくっつける。吐き出すように言った。
「知ってるだろ。嫉妬深いんだよ」
「君が嫉妬するようなことじゃないよ。そいつは君がわざわざ会いに行くほどの人でもないし」
「あんたがそう言っても、俺は……」
「ウェイド」
 ピーターは両手でウェイドの頭を包むように触れて撫でた。そのゆっくりとした手の動きに宥められ、ウェイドは長い息を吐く。
「………………なあ、聞いてくれよ。俺は今回のことでよくわかったんだが、根っから人殺しの屑なんだ。あんたみたいになんでも許せるほどできた人間じゃないし変われもしない」
「そんなことないよ」
「独占欲も強いし臆病者で、前にあんたがスパイダーマンの時に言ったが、俺がこんななせいで、その、駄目だ言いたいことがまとまらねえ。とにかく俺は、俺のせいであんたに何かあるのがずっとこわくて仕方なかった。昨日の恐怖もまだ残ってる」
 だから例え完調していたとしても俺のために今日はここにいて欲しい。
 聞きながら、やっぱりウェイドに詳細は話せないな、とピーターは思う。悪いのは悪いことをした奴らなのだから、ウェイドのせいというわけではないのだけど。子供に言い聞かせるような優しい声で言った。
「安心してよ。僕、強いから。簡単に犯されたり死んだりしないし。不安がらないで」
「ピート…………」
「……すごく、嫌だったよ。君以外に触られるの。君じゃないと駄目だった。僕も、君との関係が壊れるのが嫌で正体を明かせなかった。臆病者だし、上手く行かないことも許せないことも沢山あって、一緒だよ」
 どうしたってこうはなれないとウェイドは思う。かないやしない。
「……その優しい先生みたいな声のトーンやばい。頭溶けそう」
「癖で」
「俺みたいな奴は甘やかすとどんどん調子に乗るし一生離す気無くなるぞ」
「乗り過ぎたら叱ってあげる。離さないでよ」
「言ったな。聞いたからな。有言実行してやる」
 ウェイドは悪い顔をするとピーターの額、頬、唇と順にキスを落とし、喉元に軽く歯を立てた。それから肌のいたるところに唇を落としていく。自分以外がつけたものがどれだかわからなくなるくらいに。
 くすぐったそうに笑っていたピーターの声が少しずつ甘く高くなって。
 そして。
 
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