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第三話 コーラと馴れ初め

 ビールを飲みかけた男は盛大に噴き出し、むせこんだ。つばの広いカウボーイハットがそれに合わせて上下する。
 隣に座る人の良さそうな青年が慌ててその背をさすった。
「だ、大丈夫?ローガン」
「いや……、おま、おまえな……何がどうしてそうなった」
「色々あって……そっか、ローガンはウェイドの友達だから良く知ってるんだっけ」
「よくってほどじゃないしお友達でもないがな」
 憮然とした表情で返す。どこ情報だそれは。
 一瞬集まった店内の視線はもう分散し、元の緩やかな喧騒が戻っている。ローガンと呼ばれた男は眉を下げて笑う弟分の無害そうな顔を横目で見ながらビールを飲みなおした。
 ここはローガンの行きつけの酒場の一つだ。ミュータントなど特殊な客が多いことでも知られており、店主もちょっとやそっとの騒ぎでは動じない。安いし美味い。だが柄にもなく驚き過ぎて、口に放り込んだフライの味がいまいち分からなくなってしまった。
 元凶である青年は呑気な顔でくんくんと自分の服に鼻を近づけて首を捻っている。
「でも、そんなに彼のにおい残ってるかな……全然わかんないや」
「俺だからわかるってだけだよ」
「ローガンはにおいで僕の正体を見抜いたくらいだもんね……ちょっと羨ましいな。蜘蛛の能力に超人的な嗅覚もあったらよかったのに」
 正体……そう。この優男の正体はスパイダーマン。あのニューヨークの蜘蛛男である。本名をピーター・パーカーという。ローガンはピーターがティーンの細っこい子供のころから付き合いがあり、成り行きでヨーロッパで共闘したこともある。今は同じチームに所属する仲間でもあり、こうしてたまに一緒に飲んだり(といっても、ピーターは下戸らしくいつもコーラだが……)している仲である。甘ちゃんなのもやたら自己犠牲的で危なっかしいのも昔から変わらない。不幸を背負い込むのが得意な難儀な奴で、ローガンなりに気にかけていたりもするのだが。
 その彼が、〝あの〟ウェイド・ウィルソンと。交際。こいつだってもうガキじゃないし、誰と何しようが知ったこっちゃないはずだが……。
 ローガンは赤いマスクの狂人とも言われる男を思い浮かべて、宇宙の果てを見るような遠い目をした。
「……てことは、あいつはおまえが蜘蛛男だって知ってるんだよな?」
 ピーターは首を横に振り、また少し困ったような表情をした。
「ううん。知らないよ。なんか、言いにくくなっちゃって……」
「なのに〝おまえ〟と付き合ってるのか?」
「うん」
 増々何でそうなった、だ。
 彼から感じた〝におい〟から、デッドプールと何かあったのかと話を振ったのはローガンだ。独特な死の香り。あの饒舌な傭兵はローガンと同じヒーリングファクターを移植されているが、そのせいなのか微かでも判別できてしまう。根っからの悪ではない。しかし善でもない。スパイダーマンが好きだというのはいつか聞いたことがあった。しかしそこからどうして。
 
「告白されたのは最近だけど、会ったのは半年くらい前かな」
 カラン、と氷が鳴る。コーラのくせにほろ酔いのような目と顔色をして、ピーター・パーカーは語りだした。



 その日はよく晴れていて、風も爽やかで、外出にはうってつけの日和だった。だからって平和に過ごせるとは限らないんだけど。
 僕はもう一人の教員と一緒に十数人の生徒たちを引率して予定通りに自然史博物館や研究所を見て回っていた。社会見学というやつ。
 そうそう、僕が蜘蛛に噛まれたのも社会見学でのことだった。高校生のあの日、あの研究所に行かなければ今ごろ全然違う暮らしをしていたんだと思うと、なんだか不思議だ。その日行った研究所は色々と機械工学系の研究開発をしているところで、僕の大学時代の知り合いも勤めているんだけど、ヒーローにならなければ彼みたいな生活を送っていたのかもしれないなって話しながら思った。
 そんな感じで……まあ、途中までは平和だったんだ。途中までは。

 施設の中を見せてもらい、話も聞いて、あとは帰るだけという時に急にスパイダーセンスが鳴った。それも強く。僅かだけど確かな振動を肌で感じ取って、喉の奥から叫んだ。
「伏せろ!」
 きょとんとしている生徒達にもう一度指示を出し、すぐに守れる体勢を取って、それから耳をつんざくような爆発音がするまで3秒くらいだったかな。
 巨大な地震のように建物全体が揺れた。
 一斉に非常電源に入れ替わりベルが鳴り響き、シャッターが降りる。混乱と動揺が場を支配した。上の階で何かあったらしい。
 所員の誘導に従って生徒達を外に逃がしている途中で、再び感じた不穏な気配に僕は子供たちを制止した。
 みるみるうちに天井にひびが入り穴が開き、先ほどまでいた場所に妙なアーマーを身に着けた男と妙な赤いタイツ姿の男が揉み合いながらコンクリート片と一緒にガラガラと降ってくる。周囲から悲鳴が上がった。
 明らかに駄目な方向に折れ曲がっている手足。大きな傷跡。それが目の前で嘘のように元に戻って、こちらを見たマスクの顔が「あら、嬢ちゃん坊ちゃん、驚かせて悪いな」などと場違いに陽気に言った。デッドプール……それが僕と彼の出会いだった。
 最悪じゃないか?確かに、そうなんだけど……。
 とにかくすぐにでもスパイダーマンになった方がいい状況だったけれど、脚を捻った子を背負い、恐怖に怯える子の手を引いているんじゃそうもいかない。再びドンパチし出したデッドプールとアーマー男を避けながら残った2、3人の生徒達を非常口まで逃がすために走り、途中で倒れていた研究員を抱え起こす。もう一人の教員に預けて、生徒の人数を聞いて、あと1人。奥の方でへたり込んでいる。
 僕は障害物を避けるため密かにスウィングしつつ駆け戻り、進路を反れて飛んできたレーザー光線から庇うように跳躍した。
 一緒に避けるのは間に合わなそうだった。常人なら助からないかもしれないけれど、僕なら直撃してもそう簡単に死なない。だから身を固くし、目を閉じ、身を刺すはずの衝撃と痛みに備えたけれど……それは来なかった。代わりに人肉の焼ける焦げ臭いにおいが鼻を刺激する。
「よう……先生。随分無茶するんだな」
 振り向くと胴体のスーツを焼かれ肌からしゅうしゅうと煙を上げる男が僕らの盾になるように立っていた。思わず目を見開く。
「デッドプール……」
「お、知ってるのか?もしやファン?」
「違うけど。庇ってくれてありがとう」
「巻き込んじまって悪いな。さっさと逃げな。守ってやる余裕もねーし」
 彼は銃を両手によっこらせと立ち上がる。
 僕はぱちぱちと電気を纏いながら暴れるアーマー男を見て、研究所の中をさっと見回した。スパイダーマンになってもいいけれど。これならば……「ねえ」と、彼に呼びかけた。
「……協力する。あいつを倒そう。ただし殺さないで。」
「はぁ?いくらファンだからって素人の、」
「話を聞いてくれ」
 じっと見上げると、彼は肩を竦めて言った。
「……何か策があるのか?せんせ」

 僕は生徒を非常口から外に退避させ、研究所のコンピュータを弄った。後で謝ろうと思った。非常事態だから仕方ない。
 デッドプール曰くここに入ってから急に強くなったと言っていたから、ここの動力からエネルギーを吸い取っているのかもしれないと思った。その手の敵とも何度も交戦経験があるから、様子を見ればなんとなく分かる。既にエネルギーの充填は満タンで、動力を止めてもおそらく無意味。それなら。
「上手く行きますように」
 僕は念じながらプログラムを書き換えた。ずっと銃声やら物のぶつかる音やらが派手に響いている方から声が上がる。
「おい!こっちはあんたの言った通りこいつのアーマーにぶっこんだぞ!」
「分かった!そのまま………その人、力が欲しいらしいからさ……お腹いっぱいくれてあげて!」
 エンター。
 バシュッ!とびっくり系の演出みたいな音がして、一瞬研究所内が真夏の昼のように明るく照らされた。
 バチバチとノイズ混じりの音が焦げ臭い煙の向こうから聞こえてくる。
 それが切れると、流し込まれたエネルギーでオーバーヒートしたアーマー男をデッドプールが踏みつけていた。トニー・スターク製だったらこうはいかなかっただろう。
「……生きてるよね?」
「たぶんな。止めを刺しときたいところだが、あんたに免じてやめといた」
「よかった。ありがとう」
「本当に巻き込んで悪かったな。まさか子供がいるとは」
「気にしないで」
 あのアーマー男はテレビで指名手配されているのを見たことがあった。デッドプールは傭兵らしいので誰かの依頼で追いかけていたのかもしれないけれど、スパイダーマンとしてヴィランを追いかけている際に周囲を巻き込みかけたことは残念ながら何度もあるから、僕は彼を責められない。それにしてもデッドプールのことはヤバい奴だと聞いていたけれど、意外と話が通じる人で良かった。
 そんなことを思いながら汚れた頬を拭っていると、彼は興味を無くしたようにアーマー男から離れ、僕を見下ろした。背が高いのだな、と思った。
「最近の高校の先生は凄いんだな。俺ちゃんびっくりしたぜ」
「はは。非常勤だけど……。一応、科学者でもあるから」
「そっちじゃなくて、その、勇気があるんだな。スパイダーマンみたいだ」
 僕は笑って誤魔化した。
 そういえばどこかでデッドプールはスパイダーマンの大ファンだと小耳にはさんだことがあったのを思い出す。
 焼けてあちこち破けたスーツと、そこから覗く痛々しく爛れた肌。そっと、それに触れた。びくりと彼の身体が震えた気がした。
「痛くないの?」
 ウルヴィと同じヒーリングファクター持ちなのは知っているけれど。
「は?え?ええ~~と、慣れてるから気にするな。きもいだろ?触らない方がいいぞ」
 彼はひどく動揺したような声で言って、妙なジェスチャーをした。思わず手を引っ込める。
「ごめん。触ったら駄目だった?」
「そ~~~じゃなく、その…………あ~~…………」
 見つめ合ったまま、沈黙が降りた。
 聞いていた評判との違いがおかしくて、僕は思わずふふっと笑ってしまった。
「〝饒舌な傭兵〟、のくせに君って意外と口下手なんだね。デッドプール」
 彼は決まりが悪そうに頭を掻いた。それから、躊躇いがちに片手が差し出される。
「……ウェイド・ウィルソンだ。〝パーカー先生〟」
 どうやら生徒が呼ぶのを聞いていたらしい。
 僕はその手をぎゅっと握った。手も大きい。
「僕はピーター・パーカー。よろしくね。ウェイド」

 *

「それから連絡先交換して……協力お礼におごりたいって言うからごはん食べに行ったりして……ちょくちょく一緒に出掛けるようになって、スパイダーマンとしても会うようになって……」
 追加のコーラが出てくる。匂い的に、コーラハイボールとかと間違ったりしてはいなそうだ。なのに青年の顔は耳までうっすら赤く染まって、目はどこか据わっている。
「いつの間にか、好きになってた。確かに変なところもひどいところもあるんだけど、なんだかんだ優しいし、ほっておけないっていうか……、」
「のろけはいいがおまえ、酔ってないよな?」
「僕?酔ってないけど……変かな」
「いや。好きにしろよ」
 単に見慣れないだけかもしれない。こいつこんな顔もするんだな、とローガンは思う。人当たり柔らかいようでどこか距離を置くような、体温の低そうなイメージが今まで強かった。チームにもつい最近まで属さず、個人主義で、誰かに頼ることが苦手。
「そういえば誰かに話すのって初めてだな……自分で始めといてなんだけど、結構照れるね」
 ピーターは濡れたようなヘーゼルの目を細める。ウェイド・ウィルソンは本当にあらゆる意味で困った男だが、案外割れ鍋に綴じ蓋というやつなのかもしれない気がしてきた。
「あのさ、正体は……」
「パーカー、ストップ」
「え?」
 ローガンは顎をしゃくった。
 こいつのスパイダーセンスとやらはこういう時には働かないらしい。ピーターの数メートル後ろに、キャップとフードを被り黒いオーラを纏った長身の男が音もなく亡霊のように立ち尽くしている。
 常人ならばチビりそうな威圧感だが、ピーターは軽い調子で手を振った。
「あ、あれ?やあウェイド。いつから」
「やあ……じゃねーーよ!!ピート!!どうしてこいつと??」
 噂のウェイド・ウィルソンはピーターの呼び掛けを合図に魂を吹き込まれたかのようにぶんぶんと指を振って暴れだした。愉快だがめんどくせえ。
「うるせえな。指さすんじゃねえ。おまえの愚痴を聞いてやってたんだよ。な、パーカー」
「俺の愚痴????」
「もう、ローガン……」
「そんなに親しげに呼ぶ仲なの????」
「えっと、僕、トニーのところに出入りしてるから前から知り合いで」
 こうして設定が増えていく。バカ正直で嘘付くの苦手なくせによくやってるぜ。やいやい言い合いを始めた二人から視線を反らし、ローガンはビールの追加を頼んだ。
 思ったより上手くやっているようだし、今後このアホカップルと関わり合いになるのはやめておこう。
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