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灰色の空が暗くなった後、街灯の光を頼りにスティーヴンの手を引いて遊園地に向かった。
きっかけは曖昧だ。行ったことがないというから連れて行こうと思ったのかもしれない。マーク自身も、もう長らく遊園地など行った記憶がなかった。最後に行った時も確かこうして手をつないでいた。離さないようにと、母にそう言いつけられていた。モノクロの記憶の断片が鋭利に尖ってそこらじゅうに散らばっている。傷つかないように避けて歩く。霧雨が降っていたのだがいつのまにか止んで、ぼんやりと光る霞んだ月が見下ろしていた。月は丸い。目を細めてそれを見上げる。
「今日って満月なんだね」
「らしいな」
「……マーク、平気?」
スティーヴンがひょこりと顔を覗き込んでくる。
「なにがだ?」
「なんか恐い顔してるよ。遊びに行くのに」
「いつもだろ」
「そんなことないよ」
自分の顔に触れてみる。無理に表情筋を動かそうとしてやめた。眉間のしわは実際癖になっている。
スティーヴンの手を握り直し、水溜まりに注意するように言って大股で避けた。水面にも丸い月がゆらゆらと揺れている。一瞬、白い何かがふわりと映りこんだが見ないふりをした。見ない。知らない。気づかない。
錆びた看板の横で遊園地行きのバスを待つ。涼しい夜風が二人の間を吹き抜けた。
こんなところにバスなど本当に来るのだろうか。来なかったらどうしようか。他の遊びを考えないといけない。そんなことを考えていると赤いバスが走ってきて目の前に停まった。ドアが開く。
「二人分」と言うと、運転手はマークとスティーヴンを見て眉をあげ、「一人分で大丈夫ですよ」と答えた。スティーヴンと顔を見合わせ、肩を竦める。
バスには他に何人か乗っていたが、皆どんな顔をしているのかはよく見えなかった。興味もなかった。皆好きに行きたいところへ行く。
席に座り、バスが動き出すとほどなくしてスティーヴンが甘えるようにもたれかかってきた。その肩に手をまわしながら車窓を眺める。暗い街から開けた場所へと景色が変わっていく。遠くでキラキラと灯りが輝いて、月はどこまでも追ってくる。それを見ているうちにすうすうと寝息が聞こえ始めたので、マークも目をとじた。
曖昧な意識の中で漂っていると抑揚のない車内アナウンスが流れる。
『××遊園地へお越しの方はこちらです ××遊園地へお越しの方はこちらです…』
マークは軽く伸びをしてまだ眠っているスティーヴンのこめかみあたりに唇を押しつけ囁いた。
「起きろ。寝坊だぞ」
スティーヴンが小さく声を漏らす。
「ん……寝坊? また寝過ごした?」
「嘘だ」
「ひどいなもう…」
夜明けはまだまだ遠く、外は変わらず暗い。ここに夜明け自体があるのかもわからないが。
バスから降りる。カラフルなライトで照らされた大きな門が見えた。観覧車とジェットコースターのレールが暗闇で光を放っている。陽気で明るい音楽が聞こえてくる。家族連れ。カップル。数名のグループ。自分達の他にも人は沢山いるが、みんな白い影に見えた。
チケットを購入する。「二人分で」と頼むと、カウンターの女性はマークとスティーヴンを見て不思議そうに「一人分でいいですよ」と言う。スティーヴンを見ると眉を下げて笑った。
雨上がりと夜の匂い。濡れたコンクリートに色とりどりの明かりと白い人影が反射している。それを見ながら輪郭のはっきりしない、形の曖昧な生物が海の底を漂っているのを想像した。みんなこのまま地上へは上がれない。乾いて重力に押し潰されてしまう。他から見たら自分達もそういう姿なのかもしれないと思う。
「ほんとに映画とかでよく見る遊園地だ」
スティーヴン弾んだ声で言う。
「そりゃ遊園地だからな。好きなのを選べ」
「えーどうしよう。じゃあ、あれに乗っていい? 一回乗ってみたくて」
指差す先にはティーカップ。巨大なパラソルの下で発光するカップがくるくると回り、中心には高さ数メートルのポットが置かれている。
待ち時間はほとんどない。マークとスティーヴンは青色のカップに向かい合わせで乗り込んだ。
音楽が始まり、カップが揺れて回りだす。
「出会ったころは二人で色んなことをして遊んだよね」
「そうだな。俺にはおまえしかいなかったから」
ごっこ遊びに、トランプに。白い画用紙に架空の地図を描いてみたりもした。昔の記憶だ。いつしか二人で遊ばなくなり、姿も見せなくなり、随分時間が経ってしまった。遊び方自体を忘れてしまった。
中心の丸いハンドルを握る。力を込めて回すとカップの回る速度が増す。ゆったりした動きから嵐の中の小舟のように。忙しなく回転する風景。
ぐるぐると真剣に回す。スティーヴンがやりすぎだよと笑う。安全に設計された乗り物だ。道を外れてどこかにすっとんでいったりはしない。普段の無茶とは違う。回す、回す。回る。光が線になる。
「ちょっと、マーク、目が回るってば! これってこうやって遊ぶもの?」
「昔はこういうもんだと思ってた!」
「じゃあそれでいいよ……いいけどっ……!」
遠心力にさらされながら笑い混じりの声でスティーヴンが言う。
「後ろ向きに走る車とかよりはマシ、かな!?」
「後でそういう乗り物にも乗せてやるよ」
ああいう風に命の危険はないし。シートベルトつきの安全なスリル。
加速し、ぐるぐると回り、やがて音楽がゆっくりになってカップも止まっていく。同時にスティーヴンはくたりとカップにもたれかかって大きく息を吐いた。
「遠心分離機にかけられたみたいだった……」
「俺たちはこれ以上は分離しないだろ」
「そういうことじゃなくて。君ってば何をするにも真剣なんだから……」
「まあな」
マークは笑ってスティーヴンに手を伸ばした。握りながら、スティーヴンが目を細める。
「ほら、そうやってちゃんと笑えるのに」