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 どのくらい車を走らせたのかわからない。いつの間にか随分遠くまで来ていた。
 あたりはすっかり暗くなり、星が出ている。路肩に停車し、ポケットに手を突っ込んだ。買った覚えの無いエジプト風デザインのライター。まあ火さえつけばなんでもいい。ドアを開けて外に出て煙草をふかす。微かに波の音が聞こえる。海が近い。
 後部座席をちらりと見ると自分と同じ顔をした男が二人、ぴったりと寄り添って眠っている。手と手を重ねて二人とも穏やかな顔をしていた。写真にでも撮れたら面白いのになと思う。後で見せてやれるのに。残念ながら彼らがカメラに映ることはない。
 それにしてもこんなに静かな夜は久しぶりだと思った。新月だからかもしれない。車体によりかかってぼんやりと空を見上げる。引き受けることは多いし対処するのは得意だが、別に荒れた生活や暴力や血を積極的に求めているわけではない。刺激は欲しいが、何も起こらない静かな夜も嫌いではない。白い煙がのぼって闇に消えていく。もう少し走ろうかと涼しい風に吹かれながら考えた。どこまで行けるのか試してみるのも悪くない。 そもそもこの車をどこの悪党から奪ったのかは覚えていないのだが。そう考えるとおかしくて、ひとり笑った。



 バルコニーで本を読む。
 白いテーブル。そよぐ風。暖色の灯りと波の音。ここは海が近い。空には星がきらきらと輝いているが、月は見えなかった。今夜は新月らしい。静かなのはだからだろうか。昼間の、視野そのものを切り刻むような眩しさとは対照的な涼やかで穏やかな夜。自分たちの家もこれくらい広くて開放的でこんなバルコニーがついていたらいいなと思わないでもないが、遺跡の中のように薄暗く物であふれたあの空間もあれはあれで落ち着くし愛着がある。自分たちのような存在にはあそこの方が向いているのかもしれない。
 スティーヴン・グラントは眼鏡をかけたまま大きく伸びをした。視線を動かせば自分と同じ顔をした男が壁にもたれて眠っている。すぐ横のハンモックにはもう一人が胸の上にハンチング帽を乗せて、やはり寝息を立てていた。起きているのは自分しかいない。
 スティーヴンは本に金の栞を挟んで立ち上がった。ゆっくりと歩いてマーク・スペクターの隣に座る。眠っていても眉間に皺が寄っていることが多いマークだが、今日は穏やかな表情をしていた。投げ出されている彼の手を握ってみる。わずかに瞼が動いたが、やはり目覚めることはなかった。じっとそれを見つめて額にキスをしてから立ち上がり、読書に戻る。ハンモックからエジプト風デザインのライターが落ちて音を立てた。
 


 マーク・スペクターは白い浜辺に座り込み、暗い海をまんじりともせず眺めていた。寄せては返す波。同じことの繰り返し。月が無いためか、空はいつもより暗く感じる。代わりにひどく静かだ。空気も心も。
 浜辺には自分と同じ顔をした男が二人倒れている。右を見て、左を見た。どちらも手の届きそうな距離にいて、どちらも眠っている。寝顔は穏やかだった。彼らはたまにこうして目的もなく遠出をしたがり、マークをどこかに連れ出したがる。好き勝手して、そして眠りに落ちる。その間に車が爆発炎上したり妙な敵との戦いが繰り広げられたりもする。今回のように何も無いのは珍しい。どこからが夢でどこからが現実だったのかもよくわからないが。この光景さえも。立ち上がって海に入ったら家のベッドで寝ているのかもしれない。目が覚めたら誰かに縛られて銃をつきつけられて絶対絶命かもしれない。
 マークは浜辺に横たわった。右手でジェイクの帽子を奪い、左手でスティーヴンの前髪をいじる。声をかけてみたが彼らは目覚めなかった。

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